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かつて、近くで路上フリマがあった。日曜ともなれば、ホームレスの人たちがシートを広げて、主に拾ってきたものを路上に並べて売っていた。そういう店が10数軒も続いており、その間で路上バンドが演奏していた。それらが相まって、わざわざ足を運ぶ常連もいたようだし、独特な活気を呈していた。ぼくも描いた絵を売ってみたりしたことがあったと思う。興隆していたのは、おそらくアパート移行事業でテント村から人がいなくなる時期(2005年くらい)までだっただろう。ただ、自然となくなったわけではなく、音楽演奏も含めて警察の取締も厳しくなったのが理由だったと思う。
さて、それから20年近くの月日(え!そんなに!)がたち、こつ然と路上フリマを思い立った。 ひとつには3月になると、年度替えの端境期で<ダンボール手帳>(注1)の仕事が出なくなるので、<ねる会議>などで、どうやってお金を稼ぐかを討議しているためである。もうひとつには、3月末くらいまで、エノアールが冬季休業なので日曜日に時間がある。 幸いというか、なんというか、ぼくのところには古着がたくさん溜まっている。とりあえず、それを売ってみようと考えたのである。 1月末、おおいにワクワクした気分で、でかい袋に服を詰めて自転車のカゴに押し込み、路上に向かった。適当なところで、シートを広げて服を並べていると、見慣れた顔が前にある。ぼくが前夜の会議で宣言したので、野宿の知人たちが様子を見に来たのだ。服を売るだけでは退屈そうなので、似顔絵と似顔詩描きも同時にワンコインでやることにした。路上でやることには独自の喜びやスリルがある。それは予定調和をはみ出した予期せぬ出会いがあるためだ。しかし、意外なほど客はこない。チラチラと見る人がいても立ち止まったりはしない。うーん。それに、ぼくの店に並んで座っている、3人の野宿の面々の個性の強さ、台車を押していたり身の丈ほどのでかいリュックを背負っていたりする人々のインパクトに完全に負けている。この日は、炊き出しに向かう老人が一人、服を手に取り、中学生の集団が「ただで配っているならもらう」ワァーワァーと言っただけに終わった。3人は、「売れないねぇ」「気にしていた人もいた」「最初にしては上出来だわ」とそれぞれ感想や慰めを言ってくれた。 2回目は、午前中から始めた。すると、欧米人らしき二人連れの婦人が、面白いー、と立ち止まり、さらには似顔絵を注文した(一人は時間がないらしく「頑張って!」と帰ってしまった)。トルコから来た人であった。クレヨンでゴリゴリと描く。彼女は、インドカレーの炊き出しの手伝いをしている人であった。ぼくも並んだこともあるが、だいたいは(本格的すぎて?)苦手な人が持ってきてくれるカレーを食べている。ぼくは炊き出しの中でもっとも好みである。在住外国人によるネットワークに、服などを持ってきてくださいとの呼びかけがあったらしく、それで参加するようになったのだという話だった。ちなみに、この日、小笠原諸島の海岸で拾ってきた石などを売る予定の友人がいたのだが、遅刻している彼に向けて、人通りもたいしてないし寒いから来なくていいよ、と電話をかけたところに似顔絵の注文が来た。それで電話がかけっぱなしで、思いがけず実況中継となったのである。電話を切らずに、10分以上、聞いている友人も鷹揚だと思うが、彼の感想によると、紙にクレヨンを走らせる音、そのリズムや抑揚がものすごく良かったというのである。さらに、絵を見せた時に、相手ががっかりしたようだった、とも。いや、相手は、かわいい、と言っていたはずだが、電話越しに伝わった感触が本当のことだったやもしれない。今回も、この御婦人たちをのぞけば、服を見たのは、炊き出しに向かう老人一人だった。 3回目は、似顔絵と似顔詩を1つずつ。たまにエノアールに訪れる知人(鍼灸師)が客であった。服を手に取ったのは、この日も、知人をのぞけば、炊き出しに向かう老人一人であった。 4回目。ぼくは目覚めた。服は売れない。メルカリで売った方が儲かる。それに、売るものがないと野宿の人から言われる。それならば、どこにでもあるゴミみたいなものを売ることにした。その方が楽しい。この気持ちは、友人のブランドの服(注2)を見に行ったり、写真美術館の展示(注3)や映画(「太陽を売った少女」というセネガルのストリートチルドレンを描いた映画。どこで見れるか分からないが、最高だった)に、少し刺激されたところもあったかもしれない。テントのまわりをウロウロして、土に埋もれかかった人形を掘り起こしたり、錆びた蚊取り線香立てを集めたり、それらを組み合わせたりして、いくつかの商品を1時間くらいで制作した。これを売ろう。シートの上に並べる。うーん、完璧だ。 しかし、思ったほど人は見ない。チラと見て通り過ぎる。でも、気分はいい。「何やさん、これ?」チャイルドシートに乗った子どもが母親に問いかける言葉が飛んでくる。店名が決まった。「何やさん」とマジックで石に書いて置く。2時間経過。誰も立ち止まらず。でも、気分は悪くない。それに春のようなうららかな陽気である。3時間が経つ頃、ベビーカーを押して紺色の作務衣を着た男性が立ち止まって「写真をとってもいいですか?」。おぉ。「古道具やさんですか?」。いや、ちがいます、と言って、近くでテント暮らしをしていることを告げる。「これ、いいですねぇ」、と蚊取り線香立てにスミレを挿したものを気に入ってくれたようだ。一応、売ってます、と言うと、「今日は無理ですが、また来ます」とのこと。おぉ。じっくり見たのが彼一人であっても、ぼくは満足だった。あと、服を売る時は、木の葉が飛んできたら退けたり、自分の服装の汚れも気になったりしたが、「何やさん」ではそういう考慮は一切必要ないところも具合がいい。 さて、「何やさん」は、たぶん春までは続けるだろう。「何やさんコレ」として商品紹介ブログも立ち上げることにした。 路上フリマは、かつてはアチコチにあった。釜ヶ崎のドロボウ市が消えてしまったのは驚いたし、井の頭公園の入り口付近での自然発生的なフリマも随分前に審査制かつ有料になってしまった。今では、朝の玉姫公園前(山谷)くらいしか思いつかない。通行するためだけに道があるわけではないよ。 注1)ダンボール手帳 東京都による特別就労支援事業。山谷にある玉姫労働出張所(職安)などで、公園や霊園、都道などの清掃業務を求人している。同職安で作った「ダンボール手帳」(求職受付票)を持つ人を対象にしており、一日8000円弱の労賃で、平均週1回ほど仕事が回ってくる。 注2)途中でやめる 注3)恵比寿映像祭2024 月に行く30の方法 #
by isourou1
| 2024-02-29 17:46
| ホームレス文化
近くの公園で開かれる寄合に行くため自転車にまたがり、ふと、ラジオで午後から雨と言っていたな、と思い出した。急いで、テント裏に干していたタオル類を折りたたみハンガーごと、テントシート下に移動した。改めて自転車にまたがって、見上げれば雲ひとつない晴天。1月とは思えないうららかな小春日和。まさか、と思い、ハンガーを洗濯紐に戻した。タオルの端を長靴で踏んでしまい汚れた。
さて、会議も終わり、イケアで洗濯用手袋を購入して、外に出れば空は真っ暗。ポツポツ降り始めている。ペダルに力を込めて大あわてでテントに戻り、テント裏に直行すると、黒っぼい服装の人が洗濯物の上に緑のシートを被せているところだった。そのシートは、急な雨のために、洗濯紐の端に引っ掛けてあったものだ。そんなこと知っている人って、、、えっ!隣の小屋の人だ! 10年は一言も話してないし、会ってもお互い挨拶もしない。「ありがとうごさいます」と言うと、こちらをジロリと一瞥して踵を返した。ぼくとしては、その背中に「ありがとうございました」と重ねるしかなかったし、隣人としても、ぼくの出現は想定外だっただろう。それにしても、ぼくに対して悪感情を持っていると思っていた隣人に、心境の変化でもあったのだろうか。それとも、心根は親切なのだろうか。あるいは単なる気まぐれか。いずれにしても、うれしい意外さだ。すぐ雷が鳴り出し雹(ひょう)が降り出した。ウヒョー。 テント村のIさんに話すと「 雨に濡れる洗濯物を見るのが、いたたまれなかったんじゃないの。きちんとしていないのが嫌なだけじゃない」と新説を述べた。掃除好きの隣人の端正なブルーシート小屋を思い浮かべながら、そうかもしれないと思った。 #
by isourou1
| 2024-01-14 15:21
| ホームレス文化
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by isourou1
| 2023-11-28 13:01
| ホームレス文化
20人ほどのテント村の中には、口もきかないような人が2、3人はいる。それはそれで別にいい。そんなものだろう。
その一人が水場近くで掃き掃除をしていたから、ぼくは、洗い物の詰まった食器カゴを手に、彼が水場に近づくのか遠のくところなのか見極めながら歩いていた。東京都の職員が見回りにくる前日などに、彼は、小屋から水場までの道をチリ一つないように掃き清める。それもそれで別にいい。ぼくは、結局、遠くの水場へと向かった。その水場では、テント村ちかくに滞留している人が、500mlのペットボトルを4本かかえて、水を汲んでいた。こちらをみて軽く会釈する感じで立ち去っていく。 ぼくは、4リットルくらいの大容量の焼酎ボトルを使ったほうが楽だよ、と言えば良かったなとぼんやり思った。 そうして、一人で食器を洗っているうちに、この20年間、テント村で自分は何をしていたのだろうという暗鬱な思いにとらわれた。現在、心を通わせ合う人がどれほどいるのだろうか? そんなことを言っても仕方ないことは分かっている。きちんと目を開いてみれば、ぼくが今でもテント村でいろんな人とさまざまな関係をもって生きているのは明らかだ。しかし、暗鬱な気分は続いた。 今朝、一枚のハガキが届いた。おそろしく細かい字で、しかも乱れて判読しずらいところもある。 長年、テント村で暮らしてきたが、今は、遠くの病院でリハビリしている人からのハガキだ。 冒頭に、 「7月31日に大とうそうに失敗し、今はハリのムシロです」 とある。 あーー、トイレ行くのも車イスのはずの彼が逃走を企てたのだ。一体、どうやったのだろうか? ぼくは、うれしくなった。文面を追っているうちに、今度は泣けてきた。読みやすく均一の字を機械のように書くのが得意だった彼が崩れた字で、それでも食べ物のことなどを書いている。 「3年後くらいに、いっしょに、じょうしき的パン朝食パーティをやりましょう」、とハガキは結ばれていた。「じょうしき的パン朝食パーティ」というのは、「6枚切りの食パン2枚の間にチーズやマーガリンなどをはさんで、紙パック入り牛乳200mlていどでながしこむというもの」らしい。リハビリ病院では牛乳だけでさびしい、とのこと。 読み終えて、ぼくの暗鬱な気分の一端は、彼がテント村からいなくなったことに起因しているのに気づいた。 このハガキは、ぼくにとって宝物だ。 ※4ヶ月ほど前に書いた文章です。 #
by isourou1
| 2023-11-28 12:58
| ホームレス文化
Sさんとは最近知り合った。Sさんはいつも自転車で移動している。そのため、上野・渋谷・新宿・池袋とあちらこちらの炊き出しに顔を出し、また様々な公園で寝泊まりをしている。
Sさんに会うたびに、なるべく音楽の話を聞いている。Sさんの音楽への造詣と経験の深さは並外れている。そんな人は今まで野宿者で滅多に会ったことがないだけに、うれしくて仕方がない。 はじめは、炊き出しの終わった帰り道、Sさんから坂本龍一と高橋幸宏が亡くなって落ち込んでいるという話を聞いた。ああ、この人はYMO世代なのかなぁ、と思った。次に会った時に、AC/DCのTシャツを着ていたので、アレ?(イメージと違うぞ)と思って聞いてみると、ハードロックも好きなのだと言う。さらに、ジャズの話をしていると、70年代にマイルス・デイヴィスやチャーチル・ミンガスやセシル・テイラーのライブに行ったと言うから驚いた。セシル・テイラーといえばバリバリのフリージャズのピアニストだ(日本に来ていたことを知らなかった)。ピアノを弾きながら、立ち上がって踊り出したりしたとのことだった。 さらに、その後に会った時に、Sさんは、70年代後半から80年代初頭にかけて(今では)シティポップとくくられることも多い人たちのライブに高頻度で顔を出していたことが分かった。山下達郎、大瀧詠一、大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子など。もちろん、その流れでYMOも。山下達郎については、本人いわく北海道から沖縄まで追っかけたらしく、ニュースにもなった中野サンプラザ閉館最後のコンサート(今年7月)にも行ったという。矢野顕子については、渋谷公会堂のデビューライブからジャンジャン、公民館での出前コンサートまで。大瀧詠一はライブをあまりやらない人だったが、伝説のヘッドフォンコンサートなどにも参加していた。 そんなSさんだから、ライブの思い出話や、同じく熱狂的ファンの仲間たちのエピソードに事欠かない。ぼくも、40歳をすぎたころから(細野晴臣は昔からだが)このあたりの音楽は好きだから、とても聞きたい。 ケーキは、ちょっと焦げた生地とキャロブのホロ苦さがマッチしておいしかった。そして、YOUTUBEから大瀧詠一を流した。まずは、ぼくの好きな「空とぶくじら」(大瀧さんの初期シングル)を選曲。灰色の街の空の上をぼくを見ながらクジラが飛んでいるという歌だ。くじるーら、くじる、えろらる、らなる、らな、なや、という不思議なサビやクラリネットの響きも印象的な名曲だ。 Sさんは、膝の上に置いた指でリズムをとりながら、聞き入っていた。そして、「このあたりに、大瀧さんが来ていらっしゃるんじゃないですか」と上を指さした。 More #
by isourou1
| 2023-10-08 22:23
| ホームレス文化
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