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あけましておめでとうございます。
テント村の正月は静かです。なんだか今年は街にも人がいつもよりさらに少なかったような気がします。 正月3が日は、恒例の雑煮を作ったり書き初めをしたりして過ごしました。おみくじもつくってテント村に初詣できるようにしていました。Iさんが作ったおみくじがエノアールらしくないと、ケンさんが独自のうさぎおみくじを制作(ゴールデンのうさぎ、とか)、参賀者は結果に一喜一憂していました。 Mさんの病院にも正月の挨拶にいきました。 入院してからしばらく後は、手足や顔がむくんで、手はグローブをはめたみたいになっていました。そのむくみはとれて、むしろげっそりと痩せていました。第一声は「まいったなぁ」。これは毎度のこと。点滴だけで、食事は食べさせてもらってないらしい。しかし、前回の入院の時のようにそれを強く訴えるという風でもなく、あきらめた感じでした。年末の格闘技の話しから、若い時に空手をやっていた話しをききました。3段だったというから、けっこう強い。基の体が丈夫だったのでは、と思ってはいたのですが、予想はあたっていたようです。前回の入院の時は、気功でむくみを治したと言っていました。缶コーヒーを2本お使いに行って、20分くらいで帰った。 (Mさんのエピソード) Mさんが、病院から「退院したー退院させられた」のは12月7日。園道からテント村に入っていく姿が、目の端に映った。半ばよろけるように、自分のテント(のあった場所)にめがけて斜面を下る。ぼくは、あわてて追いかけた。脇に抱えた段ボールをひいて、木の根本に崩れるように座り込んだ。目の前には、トラロープで囲まれた更地。 病院から昼前に出たMさんは、歩いて区役所に向かい、福祉事務所に顔を出してから、テント村までやってきた。直線距離にして3キロ弱。それを3、4時間かけて歩いてきたことになる。(途中の横断歩道で人とぶつかって尻餅をつき、30分ほど休息したらしいが。)。しかし、数日前に病院では車イスだったし、2週間も点滴をつながれて安静していたことを考えれば、それだけ歩けること自体が奇跡的なことではないだろうか。 「事務所に挨拶にきた」「ここに泊まるつもりできたわけではない。」といって、世話になったからとぼくに2千円を渡そうとする。 隣のテントの人(この人も古い)ところに行く。大豆さんは「なに、、出てきてしまったのか。医者のいうことを聞かないとだめだよ。囚われの身なんだから。」と叱咤する。「頑固だなぁ、、いつからそんなに頑固になったの。こんなところで一人で暮らしているとダメだなぁ。」と嘆息をつく。Mさんは、病院では食事を出してくれない、インターンみたいな若い女が内視鏡で手術をして事故をした、、などという。しかし、「あんた専門家か、ちがうだろ、医者のいうこと聞かなきゃダメだよ。若いうちはいいよ、好きに生きて。でも、体が動かなくなったらそうはいかないぞ。」などと言われているうちに、沈んでくる。太陽も沈もうとしている。とりあえず、テントを建てることにして、ぼくの余っている一人用のテントを組み立てる。Mさんは、立ち去ろうとする。大豆さんが、Mさんのそでを引っ張って「ほら、テント建ててくれてるんじゃないか。そこに座ってろ。」と強引に連れてくる。Mさんは、再び木の根本に座っている。だいぶ、しょんぼりしている。Iさんと大豆さんとぼくとで、テントをつくり、大豆さんが寝袋をMさんに貸していた。 ぼくは、強引な感じになったのは失敗したな、と思った。しかし、あのまま帰しても良かったのかどうかは分からなかった。次の日は、特別清掃だったので、テントについて事務所との交渉をどうすればいいのか、そもそもMさんの今後はどうしたらいいのか、そんなことをその夜は考えていた。
by isourou1
| 2011-01-15 21:46
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