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高台は、ケンさんによるとこの公園でもっとも古くから人が住んでいる場所だった。つまり、30年以上前から住んでいたことになる。高台にいる人がやがてテント村に住むということもあったと思う。あるいは、逆にテント村にいられなくなった人が高台に住んでいたこともあった。 そのような高台の「平々凡々な暮らし」(Mさん)に昨年異変が起きた。休憩舎(トイレ)を壊すという計画が持ち上がったのだ。しかし、幸いなことに入札は不調に終わり、さらに、その後、公園自体が一時閉鎖するという未曾有のアクシデントに見舞われ計画は頓挫した(はずだった)。 それが、東京都が突然、7月15日から解体工事をすると告知してきた。、6月10日のことだ。公園の管理係長自体が「昨日、私も知りました」という余りにも急な工事予定だった。 高台に住んでいるのは3人。長い人は10年以上になる。テント村に入れるように要求したが、サービスセンターや東京都は全く聞く耳を持たなかった。テント村脇にある目立たない場所については、一緒に場所を見に行く約束をしておきながら、その話自体をなかったことにしてごまかした。 都やセンターの対応に不信が強まる中で、工事開始の7月15日になるまで高台に残ったのがMさんだった。当日は、都やセンターの職員や警察、10名ほどが立ち会いのもと工事を強行してきた。しかし、Mさんを応援する人たちで仮囲いのフェンス設置を抗議し中断させ、Mさんは都と交渉して納得ができる場所を見つけることが出来た。 高台は跡形もなく壊されてしまうだろう。新しい場所で生活をはじめたMさんに高台のことを聞いてみた。 **** ーぼくは、高台とかホワイトハウスとか呼んでいるのですが、Mさんは何て呼んでいるのですか? 俺はね、家。 ーMさんが、住み始めたきっかけは? 師匠がいて、紹介してくれたんだよ。でも、変な奴が多くてキノコ(休憩舎)に行ったんだよ、でも、大五郎(焼酎)飲んで血を吐いて、病院送りになって、、。 ーMさんは、この公園から野宿はじめたの? いや、新宿。いいオヤジさんがいてね、仕事を世話してもらって。朝3時半に起こされて、仕事行って。じゃぶじゃぶ池のところで、俺が金を帰ってくるのをみんな待っているんだよ。それが楽しくてね。 ー新宿で野宿デビューだったんですね。 だと思うよ。薬の営業の会社をやめてから、デビューしたのが36歳くらいだから。 ーいつごろのことですか? 高台に来たのが、2002年日韓ワールドカップの頃。途中で3回くらい関西に飛んでいなかったけど。 ーそのころ高台には何人くらいいたの? テーブルのところに2人、全部で5人くらい。俺は、売店の屋上だったけどな。 ーなんで、売店の上に住み始めたのですか? だって、いるところないじゃん。まわりにみんないて満員。行くところがないから、上に行った。そしたら、下にいるオヤジとかが上の方がいいと言って。あそこだったら、下から見えないから。 ーどういう風にして寝ていたんですか? 段ボール一枚だよ。雨降ったら、端がびしょびしょになるんだよ。だけど、グーグー寝ていたよ。 ー売店の上にはどれくらい? そんなにいないな。せいぜい1ヶ月、2ヶ月。 ー高台の人の仲はどうだったの? 仲は良かったよ。年が近かったから。アニキ世代だった。けっこう楽しかったよ。今みたいに炊き出しとかないじゃん。誰か言うんだよな、腹へったー、って。そうすると、喰う、って誰か言って。吉野家行くかなんて。あれが一番おいしかった。あとは、自販機のコンセントからテレビつないで野球中継をみんなで見たり。 ー高台で、一般の人の付き合いはありましたか? プロの漫画家が来て、カットのモデルになってくれと言ってきて、5千円みんなにくれるというから「やる」。どうやったらプータロウに見えるかと聞くから、まず傘持っている。あと、「山」の人間は下向いて歩いている。 ー15日に犬を連れた女の人と話していたけど、高台で知り合った人ですよね。 そうだよ。3代の犬を見てきたから。 ーけっこう付き合いがあった。 そうだよ。物とか貰えるしね。というか、2・3年前かな、おせち料理を一式、正月前に持ってきた人がいた。でも、他の二人は仕事に出ていて一人だったから、喰い切れない。とりあえず、ナマモノからいこう。人生楽に生きてきたから。 ーラン(犬)のオヤジさんとかも高台に来ていたんじゃない。 だって俺、ラン預かったもん。そしたらランが鳴きやがる、帰ろうとするんだ。朝帰ってくるといっても、収まらない。 ー犬好きなんですか。 犬でも猫でも好きだよ。牛も。蛇だって好きだよ。生き物嫌い? ーぼくは猫は好きですね。犬はそれほどでもない。 猫は自分の仔を片手枕で抱いているじゃん。手しびれないか、と思うんだけどね。 ー大丈夫じゃないですか。高台で、犬猫は飼ってましたか? ない。俺らに飼えるわけないじゃん。自分が喰うのにいっぱいいっぱいなのに。向こうに喰わせるのに大変になるじゃん、それが嫌なんだよ。 ー高台に流し台があったでしょ。Mさん来た時は使えていた? うん。ガキが、蛇口に足かけてぶっこわした。それで、根っこ(元栓)止めたんだ。 ーあそこで食器洗ったり洗濯したりしたんでしょ。 でも、下(元栓)が使えるから。 ーあれは見つからないようにやっていたの? 全然。ホースから頭洗っている時、警備員が下(階段)から上がってきても、気づかないじゃん。「Mさん、なるべくそういうのは、、、」って。 ー一応、言うんだ。 ごめんねー、とか言って。 ー花見の時期に、高台をフェンスで封鎖するようになったじゃないですか。あれはいつ頃からですか? 4・5年前前くらいからだな、たしか。 ーAさんも古いんですよね。 Aさんは選挙の時だよ。たしか区役所の地下駐にいて、でも選挙の時に入れないからって、来たんだよ。9年くらいになるんじゃないか。 ーBさんは? Bさんは、知り合いに頼むと言われて。あの時Bさんは何も持っていなかった。まず寝袋とか寝具と台車を渡してキノコ(他の休憩舎)に行ってもらって、朝は台車を持って高台に来ていて。大雪の日に、今日は戻るの無理だな、となって、そのまま。 ー住みたいという人が来たと思うんですが。 入れなかった。みんな嫌っているから。知らない奴がきても警戒するから。そういうのが嫌だった。死なれるのも嫌だったし。 ーメンバーは固定ということですね。 そうそう。5人くらいいたけど。みんなで、七輪で焼き肉とか。袋に入っているタレ付きのやつ、ガバっと焼いて終わり。立っていたらうまくない。座ってなんぼなんだよ。 ー住み始めたころは事務所は何か言っていたの? 何にもない。 ーその後はどうですか? 天皇陛下というドジョウ髭の警備員がいたんだよ。それが、一番うるさかった。毎日、舗装されたところから出ろ、と言って。やめる日に、いろいろ言ったら、怖がって門から出なかったな。 ー最近の警備員は? 眼鏡かけた奴。うるさかった。布団かぶって寝るような振りして。 ―3千円アパート(東京都ホームレス地域生活移行事業:2004年から05年)の時はどうしていたんですか? 高台の前に東京都が事業のためのプレハブを建てて面接もやっていて嫌だったね。管理事務所の玄関前で寝ていたよ。 ーMさんは、昼も高台に自分の場所を作っていたけど、あれは認められていたの? 俺は基本的には、自分はイスに座って身の周りに俺の場合は酒とか。後ろは壁でいいから、よきにはからえというのが好きなんだよ。 ーつまり、身の回りに好きな物があってほしいということですか。 そう。だから、AさんとかBさんは真ん中で、俺の場合は奥にいて。俺は基本的に自分の手の届く範囲に物があるのが一番なんだ。 ーそういう考えに基づいて、昼も夜も同じ形でいたわけですね。仕事はどうしてましたか? 俺は好きじゃないと仕事はやんない。Bさんに言われるもん、たまには仕事やりなよ。絶対、嫌。「並び」だろうとなんだろうと、自分が好きじゃないとやりたくない。納得したら仕事はする。納得してないのに仕事はしない。人に言われて仕事するのは嫌だから自分のペースで出来るアルミ缶集めているけど。まちの人とも話が出来て、引っ越しを頼まれたりもする。 (並びーバーゲン品などを並んで買って業者に渡す仕事) ー「並び」はやったんですか? それは流れだね。付き合えないと思ったら絶対無理だから。 ー高台に住んでいていい点だとおもったのは? 簡単だよ。風が吹いている。ゆっくり風が吹いている。それ以外に言うことはない。 ーだいたい聞きたいことは聞いたんですが。 一番聞いてないのは、ここに来て何をやっていたのか、っていうことだよ。 ーじゃ、それをお願いします。 何をやっていたかというと、正直何にもやってないよ。 ー今回の闘いを振り返って、何かありますか。 引かない。引くわけないじゃん。人間は、平。
by isourou1
| 2015-07-27 00:08
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