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洗濯している時、うっかりポケットにティッシュペーパーが入っていて、洗濯物全体がチリ紙まみれになるという経験は誰しもあるだろう。
さきほど、一抱えもある大きなポリバケツを使って、水場で洗濯をしていた。ちなみに、このポリバケツは高級マンションの前に捨ててあったものだが、ぬか臭さが数ヶ月取れなかった。あんな高級マンションの一室で、ぬか漬けを数十キロ作る人もいるのだなといささか不思議な気持ちを抱いたものだ。 それはともかく、いくら洗濯物をすすいでも、桜の花芯のようなものが水を濁していた。今はまさに桜のシーズン。頭上からはヒラヒラと可憐な様子で花びらが舞い降りてくる。しかし、これがバケツの水面に落ちているにしては量が多すぎる。それに、かなり茶色に褐変している。もしかすると、先日、路上ゲリラフリマ復活(2年目)として、「花吹雪」を販売していたことと関係があるのかもしれない。 花吹雪とは何か? まず桜の花びらを拾い集めなくてはならない。テントのシートにくっついている花を指でつまんでいたが、ええい、まどろっこしい。それにぼくのところは枯れ葉と混じり合っている。どこか花が散っている場所にシートを広げて捕獲しようとうろついていたら、ちょうど若者が暇そうに寝転がっているところのシートにびっちりと花がついていた。どうやら花見の場所取りをしているらしい。「ちょっと申し訳ありませんが、花びら集めているんですけど、取ってもいいですか?」 声をかけると、一瞬けげんな表情だったが、「ええ、どうぞどうぞ」と気さくにOKしてくれた。しかも、あわてて自ら手で集めだす。「いやいや、ぼくがやりますから」と、机上を掃除するようなミニ箒とミニちりとりを取り出して、かき集める。これは楽だ。こうしてかなりの量の花びらを確保した。そして、ビニール袋に花を詰め、落ちていた桜の小枝にそれを引っ掛けて、その枝を路上に立たせる。花吹雪という商品名も書いた。「花見のおみやげにいかがですかー」。花見に向かう人、帰る人に声をかける。もちろん、誰も買わない。適当に歌で宣伝する。「はぁなぁぁぁふぶきぃぃーぃぃぃぃ500円」。なんとなく桜には浪曲調が似合うようである。だんだん気分が出てくる。うなってみる。叫んでみる。他には、肩たたき屋なども出店して、そちらはお客がついていたようである。 だがしかし、あの花吹雪の桜が洗濯物に混入するわけもないのである。桜に呪われているのか、と思うほどに水の濁りは取れない。適当なところで諦めて、洗濯物を干すことにした。ズボンをロープにひっかけたところで、不自然なポケットのふくらみに気づいた。中を見てみると、なんだこれは。深紫のねっとりとしたもの。うーーん、海苔かな。ポケットの中の焼き海苔が水でふやけて佃煮状になっている。水中に拡散していたものはこれだったのか。よく見ると、干してある洗濯物のところどころにも付着している。ほんのり磯臭い。でも、なにゆえ焼き海苔がポケットに? キックちゃんの餌に混ぜるために、焼き海苔を取り出したことを思い出した。キックちゃんは(その前のナイトーさんも)海苔が好物なため、気に入らないキャットフードを食べてもらうために使うことがあるのだ。二匹とも黒猫なので、黒い海苔が好きなのだろうか。磯の臭いがいいのだろうか。 洗濯物は干してあるのはそのままに、まだの分はもう一度すすいで干すことにした。 #
by isourou1
| 2025-04-08 15:13
| ホームレス文化
54歳になった。だからゴシゴシである。
誕生日には何らかをやってきた。今回は人生ゴシゴシとタイトルだけ決めていた。 明け方は1度まで下がったが、昼は陽がさし小春日和となった。エノアールには、野宿の方が一人だけ来ていた。 日々のテント暮らしの細々としたこと、近隣テントの愚痴などを話していた。15時すぎた頃に、まだ若くして急死された方の告別式の後に立ち寄ってくれた友人やその知人、古くからの友人や常連さんなどが来て、少し賑わってきた。ぼくは墨をすりつつ、話を聞いていた。 16時になり、ぼくはテーブルのわきに敷いたシートの上に座って、「今日は54歳の誕生日ということで人生ゴシゴシします」 「そうなんだー」という声。「ゴシゴシしたいことを考えておいてください」というと「ゴシゴシしたいことって?」 「たとえば、忘れたいこととか、消したいこととか」 ぼくは服を脱いで上半身裸になった。「54歳になって何やっているの!」というヤジ。 「ゴシゴシしたいことを背中に書いてください。寒いのでなるべく早く」 「頼んでない」という声。「あー、思いついた!」という声も。 ぼくは背中を向けて正座をしている。筆先が肌を滑るひんやりした感覚。一人ひとりが参拝するようにやってきて書く。その文字はぼくには見えない。 トイレに行っていた野宿の人が戻ってきたので趣旨を説明すると、「あるけど……書けない」と頭を抱えた。 古くからの友人にぼくの忘れたいことを代筆してもらった。「ムセイ」。 一通り書き終わったところで、愛用のボディタワシを取り出した。タワシには背中に届くように紐がついている。「ゴシゴシ」、背中をこすった。みんなも「ゴシゴシ」と声を上げる。「おちてきた」「混ざった感じ」。ゴシゴシ!ゴシゴシ!寒風(乾布)摩擦のようだ。ダメ押しで力を込めてゴシゴシした。踊りながらゴシゴシした。 「相変わらずの小川さんという感じだねぇ」 「自分が54歳になったら思い出すんだろうな」 「その時は伝統としてゴシゴシしてください」 「絶対やらない」 「でも楽しかったよ」 テーブルに戻って、それぞれ何を書いたか聞いた(詳しくは秘密)。それぞれの脳裏に浮かんだ、失敗や気にかかることは意外だったりもっともだったり。 「ぜんぜんゴシゴシされた気がしない」との感想も。 ゴシゴシし終えてぼくはなんだか落ち着いた気分になった。 お好み焼き(おいしかった)に刺さったローソクを吹き消して歌を歌って誕生日は終わった。 それから背中に残った墨をゴシゴシに銭湯に行った。湯船に入ったら、皮が剥けていたみたいでものすごく沁みた。 #
by isourou1
| 2024-12-21 11:57
| ホームレス文化
公園のトイレに行った。大のほうだ。トイレに行く時は、帰りに水を汲むため、4リットルの焼酎ボトルを手に提げている。
個室に入るなり、ポリエステル製の黒いポーチが小棚の上に置いてあるのが目に入った。 財布かもしれない。 個室の中なので都合がいい。用を足してから、ポーチを手にとって、チャックを開けてみた。万円札が入っている。折り畳まれていて数えなかったが10万くらいありそうだ。ポーチの見た目に比べて予想外の額。あとは、名刺や銀行カードや免許証。 さて、どうしよう。抜いてしまおうか。 その時、つい最近、夜中に新宿で財布を落としたが、そのまま拾われていて、助かったことを思い出した。ぼくはよく財布を落とすが、いつも拾われて見つかっている。 また、こんなことで捕まるのも面白くないとも思った。そして、知り合いの引っ越しを手伝ったばかりで現金が多少はあった。無一文だったらわからない。 このまま置いても、だれかに盗られるだろう。ぼくがサービスセンターに届けて、「野宿者が拾った」と相手に伝えてもらおう。野宿者の評判も少し良くなるだろう。いや、警察に届けて、一割もらおうか。それでも、でかい。 と、ここまでを一瞬で考えた時に、ドアの外で話す声が聞こえた。 「……トイレのどこに置いたか分かりますか?」 ぼくは、とっさに個室から出ながら、 「財布ならそこにありますよ」 と、スマホを耳に当てている、持ち主の関係者らしき人物に落ち着いた声で告げた。 その人は、「あ、ありました」とスマホに言って、焼酎ボトルを手にしたぼくを黙って見つめた。 #
by isourou1
| 2024-07-31 19:14
| ホームレス文化
※昨年10月に書いた原稿です
今朝(といっても10時半ころに)、布団の中のぼくに電話がかかってきた。元テント村のHさんだ。 まだ寝ていた? 別に用事はないんだけど。 久しぶりの声だ。 今年は花見やったの?連絡ないからどうなったのかと思って。 (花見か、それ半年前の話だよ)と思いつつ、うーん、今年もやらなかったよ、と答えると、一般はやっていたんだろ、と言う。寝ぼけた頭ではやらなかった理由をすぐには思い出せなかったが、うーんやっても人が来るか分からなかったしね、と言う。実際、花見のことを気にかけていたのは、ケンさんとHさんくらいだった。 4ヶ月ウツで寝ていたんだよ、とHさん。連れが飯つくってくれたからどうにかなったけど、一人だったら死んでいたかもしれない、なんにもする気がしなくて家の外に出なかったよ。 それから、Hさんにテント村住人の近況を聞かれた。最近入院したケンさんの話をすると、そうかケンさんもあっちに行ったか、と言うので、まだ生きているんだよ、と返すと、これから施設に行くことになるんだろ、産まれる時と死ぬ時は一人だからな、と言った。それから、 エノアールはやっているんだろ、そのうち遊びに行くよ、と電話が切れた。 今日の午後、Iさんとドカコさんの面会に行った。ぼくがドカコさんに会うのは、実に5年ぶりだ。ドカコさんの入院生活も2年になろうとしている。ベットの3分の2ほどでちょこんと収まっているドカコさんは、以前より幾分やせたとは言え、ドカコさんのままで、ぼくは胸をなでおろした。ドカコさんが口を開けば、清潔だけど無機質な大部屋のベットの上にもドカコワールドが立ち上がるのだ。Iさんも病室の雰囲気は気になったらしく、こんどドカちゃん人形を持ってくるから飾ろうよ、と言っていた。ドカちゃん人形とはドカコさんが布や紙でパッチワークして制作していた作品のことである。 ドカコさんらしかったのは、テーブルの上に、トルストイ「くつやのマルチン」が載っていたことだ。ドカコさんと話しながらページをめくってみた。貧しい靴屋にキリストから明日訪れるとの託言がある。翌日、ワクワクしながらキリストを待つ靴屋だったが来臨はなかった。雪かきしている老人にコーヒーを入れたり、赤ん坊を抱いている薄着の婦人にセーターを上げたり、老婦人からりんごを奪った少年と老婦人の仲介をしたり、という平凡な一日にすぎなかった。その夜、それらの人たちは私だったのだというキリストの声が聞こえる。わたしは貧しい人と共にいるという聖書の言葉で絵本は締めくくられていた。子どもの頃、ドカコさんは、老人であるマルチンを演じたことがあるのだという。 そして、話はやはりテント村のことになった。テント村の出来事が、色鮮やかにドカコさんの眼前に映し出されているのが分かって、ぼくは驚きとともに胸が暖かくなるのを覚えた。加藤さん、小山さん、ウノさん、今となっては懐かしい名前が次々と出てくる。ドカコさんが、テント村でもっとも思い出すのは意外にもケンさんらしく、入院していると聞いてずいぶんと心配していた。 面会の制限時間は10分だったのだが、40分ほどは話したところで、看護師がそろそろです、と言いに来た。ドカコさんは、もう終わりなの?。年内にまた来ます、と言うと、それまで生きているか分からないわよ。ぼくが、面会の予約がなかなかできないと言うと、じゃあ糸電話で、とドカコさん。色んな人と糸電話で話しているようなのだ。それで、色んなことをはっきりと覚えているのかなと思った。ぼくたちも、糸電話で!、と言って帰った。 夕飯の買い物に近くのスーバーに出かけた。その行きがけに、テント村のTさんが大きなブラスチックの衣装ケースを抱えて歩いているのに出会った。「いいのを拾ったね!」と言うとエヘヘと笑った。この手のフタ付きのケースはテント生活には必須なのだ。落ちてないかとぼくもいつも気にしている。 スーバーでは猫のエサを買っている、元テント村のSさんに数年ぶりに出会った。隣のテントだった人だ。まだ、あっちにいるの?とSさん。やはり、話はテント村の近況だ。絵かきさんのことや一昨年亡くなったYさんのこと。また、渋谷の街で倒れて急死したと言われている人のこと。この人は、公園近くの都道に荷物を置いていて(住んでいたようでもあった)よくテント村に遊びに来ていた。テント村を離れても、どっかから情報は入っくるようだ。みんな死んでいくなぁ、とSさん。 スーバーからの帰り道では、台車を押して歩いてるMさんと挨拶をした。 今日はなんたかテント村関係者とよく会う。 そして、ぼくたちがバラバラにされてきたということにも思い当たった。テント村という1箇所(いや、それはテント村だけではなく炊き出しの場であったり、もっとピンボイントでエノアールであったり、つまりは野宿という交差点の多い時空)に集っている人たちが、病院に施設にアパートに分散されてきた。そこにおいても、その人の個性を発揮できなくもないだろうが、それは閉じた空間に埋没される傾向にある。そして、なにより、変人(とあえて言うが)が集うことによってうまれる相乗効果に欠けている。開かれた空間に集うことによって存在を顕在化すること、それが野宿の効用なのである。もちろん、身を隠せること、不本意にさらされないことも大事だから、それが両立しうる繊細さが必要だろう。 ここまで考えて、集うことに対して冷めつつあった最近の自分に少し喝を入れる気持ちになった。 #
by isourou1
| 2024-04-15 22:20
| ホームレス文化
声をかけるのは難しい。相手が見知らぬ人であれば、なおさらだ。
JR高架下に寝ている男性がいた。1月頃は段ボールに毛布を1、2枚敷いているだけだったが、そのうち、少し厚手の寝袋になった。 すぐ近くにある公園で毎週寄り合いをしているので、たまに歩いている姿を見かけた。やせているが背が高く、おそらく同世代か、もう少し若かった。その公園でテントを張っている人から不安の声も聞かれた。高架下の男性が昼間に公園にいるというのである。野宿者だからといって他の野宿者を警戒しないわけではない。むしろ、同じ生活領域にいるので敏感になる。 その高架下の寝床がきれいになくなった。 「排除されたのかもしれない」と言う人もいた。「何でもっと話しかけようとしなかったのか」となじられもした。ぼくとしても、寝床にビラを置いたり、食べ物を用意したりしたことはあった。しかし、寝床にいないことも多かったし、いても寝袋にくるまっていた。一度、公園の前に佇んでいる時があって、声をかけようか、ちょっと考えた。しかし、なんとなく不穏な顔つきで周囲を見ているようだったので、なんて言ったらいいのか分からず気後れした。 見知らぬ人に声をかけて、思い通りの交流になる場合は限られるだろう。こちらが何者か分からないと怪しまれるからだ。支援者のような感じで声をかけることは、それを幾分なりとも緩和する。支援という目的は不自然ではないからだ。しかし、急迫しているならともかく、別にそういう関係をつくりたいわけではない。そして、野宿者は野宿者に声をかけることはあまりしない。 そういうことを考えていた時、ぼくの頭に浮かんだのはセキさんの姿だった。 セキさんは、昔のテント村で近くのテントに住んでた人で、とにかく、この界隈を歩き回っては話をしているため、誰よりも情報通であった。そして、それを秘かに自負しているようでもあり、野宿界の「世間師」というべき人だった。3000円アパートに入ってからも、しばしばテント村に遊びに来ていた。セキさんは一カ所で長くは腰を落ち着けたりしない。エノアールに来ても、長くて30分くらいで切り上げる。賑やかしのように冗談を言って笑って立ち去る。基本的には明るい調子だが、人間観察はきっちりしている。 セキさんの名言で覚えているのは、公園の管理事務所(現・サービスセンター)が焚き火を禁止して、職員が水をかけたりしていた頃、セキさんは「バカとけんかするには、こっちもバカにならないといけない」と言った。時と場合によっては、相手よりさらに低次元なことを言わないと喧嘩には勝てない、というのは真実味がある。 セキさんは墨も入っていたから、かつてはそういう世界にいたのかもしれない。ぼくが知っているセキさんの仕事は、カジノかなにかの看板持だった。看板持はテント村でも何人かやっていた。街にずっと立っているので、人間観察ができそうだ。また、同じところにいるから、いろんな人が立ち寄る。セキさんは、人から請われればお金を貸していた(返ってこないと苦笑していた)。街で会うと、ジュース飲む?といつも聞いてきた。面倒見が良かったが、親分風を吹かせるわけでもなくあっさりしていた。 公園にテントを張る前には、セキさんは区役所まわりのダンボールハウスで寝ていたらしく、そのころが一番楽しかったとよく言っていた。壁が薄くて、と、その理由を説明していた。ちなみに、セキさんは泥酔してあちこちで転がっているので有名だったらしいが、ある時から酒を全く止めたと言っていた。アルコール依存を自力で克服した人というのもあまり聞いたことがない。「生きているのが冗談みたいなもの」が口癖だったが、10年前くらいに部屋の中で亡くなっているのを看板持の同僚が発見した。 さて、セキさんのように声がけが出来るだろうか? 何となく楽しそうに、でもどこか親身に、さっきまでの会話の続きのように。 #
by isourou1
| 2024-04-09 13:51
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