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蚊取り線香型蚊取り線香たて!!! 自画自賛したい。これは素晴らしい。うっとりした。ベンチと針金があれば誰でもできる。 テント村のIさんに「傑作ができたんだけど、欲しい?」と聞くと「欲しくない」。しかし、実演してみせたところ、そんなIさんからも自ずと拍手が湧き起こった。ぼくも拍手した。 #
by isourou1
| 2022-07-29 23:47
| ホームレス文化
ほぼ毎晩、近くのゴミ箱に上に食べ物を置いている。1年くらいになるかもしれない。人からもらったもので、ぼくが食べないものや保存がきかないものとか、ゴミ捨てついでに余り物を置いている。
夜間にゴミ箱をあけて食べ物を探す人がいるからだ。いつも決まった人で同世代だろうか。たまたまかちあって、ぼくが、どうぞ、と言い、相手が、どうも、と返すくらいの会話しかしていない。 寝場所も分かっているが、そこに届けるのは互いの負担になる感じがする。ゴミ箱を介してのやりとりがちょうど良い気がしている。余り物がなければ置かないし、時間も決めていない。 先日、余ったチャーハン(この時期は翌朝までもたない可能性が高い)と教会の人がテントに持ってきた菓子パンをゴミ箱に持って行きながら、 お供え という言葉が頭に浮かんだ。 食事やいただき物の一部を神棚や仏壇に供える、そんな感じに近いな、と。 それで、翻って考えてみると、お供え物の発祥というのはむしろ一種の食料の分配方法だったのではないかとも。 旅の人や飢えた人、特定だったり不特定だったりする、そういう人に対する、ささやかな食事の分有だったのかもしれない。 そして、直接やりとりしないというところに、断絶と交流の機微があったにちがいない。 墓場で暮らしていた「乞食」の人たちが、お墓のお供えを食べるというのは、供養する方も分かっていたのだろうし、道の辻にあるお地蔵さんにお供えがあれば、それは旅の人に対するものだっただろう。 もしかすると、そういうお供えという行為が先にあり、その場所が神仏の場所になったのかもしれない。 そういうことを思うと、自分の行為は、元祖お供え、とでも言うべきもののような気がしてきた。 #
by isourou1
| 2022-07-18 22:28
| ホームレス文化
Sさんがバイクに乗って登場した。エンジン音がするから何事かと思って、外に出てみると配達便のような荷台に箱がついたバイクがテント村を走っている。まさか、届け物でもないだろう……と見送ったら、テント村のケンさんに連れられて「変人でーす」と大声で言いながらSさんが歩いてきた。バイクを押している。ここは乗り入れしたらダメだよ、と言うと、隠しておこうと言うので、呆れて、門のところまで戻って駐車しろ、と言う。昔は反抗的で格好良かったのに……とSさんはぶつくさ言いながらもバイクを押して、いったん立ち去った。 デング熱が発生して公園が閉鎖されている時(テント村住人と職員・警備員だけが出入りをしていた時)も、Sさんはフェンスを超えて、レスキュー隊かのようにぼくの名前を大声で連呼しながらやってきた。いちいち、おかしな登場の仕方をする男である。 Sさんは、前述の上京しているNさんとぼくのテント前で待ち合わせをしているとのことだった。Sさんに近況を聞いてみると、鍼灸師の資格をとって、副業としてはウーバーイーツのような配達を10社に登録してやっているという。各地で宅配業をしながらバイク旅行し、九州のNさんのアパートにも遊びに行ったそうだ。そういう旅行の仕方が今は出来るのか、と少し感心した。 そのうちにNさんがやってきて、ぼくの遅めの朝食とNさんの昼食としてチャーハンをつくって食べた(Sさんは食べたばかりとのことだった)。九州のムカデは大きくて刺されると痛いという話から、ムカデの焼酎づけが薬用になる話。Sさんはゴキブリも食用になると言う。まずは空瓶にしばらく入れて、糞だしをするというから念入りだ。そのまま食べてもいいし、粉末状にしてふりかけにしてもおいしいと言う。中国では胃薬にしているとも。鍼灸をやっているのだから、あながち間違いではないのだろうとは思うが、さすがのNさんもゴキブリは苦手のようだった。 そうこうしているうちに小雨が降り出して、二人も立ち上がって去ろうとしているところに、Aさんが自転車で「こんにちはー」と言いながらやってきた。NさんとAさんの出会い、プラスSさん。展開が全く読めない。 AさんはSさんを見るなり、ちょっと悪いところがある、と言って、体を少し仰け反らせた。Nさんが、いたずらっぽく、ぼくも悪いところありますか? と言うと、Aさんが、家族がなんたら、と言う。Nさんが、お金がたくさん貰えるようにしてください、と言うと、それは私の範囲内ではない、この人に、とAさんがぼくを指さす。ぼくこそ範囲外です、と私。Aさんが、バックから100パーセントはちみつキャンディーを取り出して、一人2個ずつ配る。Nさんは受け取る時に感電したみたいにのけぞって、うわぁエネルギーがくるねぇ、と言う。 AさんがNさんの前に立って顔をひねったりする。これで大丈夫、とAさん。Nさんも、ぼくもちょっといいですか? と言って、小さなオーケストラを指揮しているように指を動かしながら、体をくねらせつつ、Aさんの周囲をまわる。Aさんは突っ立っている。4分の3周して、背後から何かを大気に逃がすような仕草。Nさんが、フッーと息を吐くと同時に、Aさんが虫を払うように手を動かして、もういいよ、と言う。この時が、サイキック対決の山場だった。剣豪が刀の鞘を見せ合った感じか。ちょっと胸おどる。 AさんがSさんに向かって「何をやっているんですか?」と聞く。Sさんが「鍼灸師、副業として配達員」。Aさん「鍼灸はどれくらい?」Sさん「2、3年」。Aさん「1ヶ月くらいですか」。Sさん「まぁ、まだペエペエだから、それくらいと言ってもいいかも」と謙遜してみせる。Aさん「うーん、なってから1ヶ月くらいの間に、いい仕事をしましたね。今、それが出来ないのは腰椎5番だ。それが良くなれば鍼灸一本で大丈夫」。Sさん「配達もいいと思っているだけど」。Aさん、やにわにスマホをいじる。Sさんが何か言う前に「え、今、直してほしい。そうですか」とAさん。3メートル前に立って、と指示をする。Sさんは従っている。Aさん、うーんどうかな、出来るか、などと言いつつ、自分の体を動かす。あとは、この運動をしてください、とスマホをSさんに示す。片方だけだよ、とAさん。Sさんが、横腹がぷよぷよしていから両側やりたいなぁ。Aさんが、そうするとバランスが悪くなるから、うーん、物干し竿を持ち上げてください。あと、胃が悪いから3ミリの針を自分で膝に打てば良くなる。Sさん、そこは骨だよ、もう少し下には足三里のツボがあって胃に効くのだが……。 Aさんが再びバックを探してココナッツサブレを取り出す。おっ、とぼくが声をあげるとAさん、少し照れくさげに「いいものですよ」と言う。 さて、Aさんからもらったココナッツサブレであるが、2日ほど、ぼくのテントの入り口付近のテーブルに載せておいた。田舎の一軒家にいえば、玄関土間のようなところにテーブルはあり、いわば敷地内と言っていい。しかし、フト見ると、テーブルにカラスが乗っている。と思った瞬間、ココナッツサブレの端を咥えた。ここらを縄張りに何かと荒らしている、いたずらカラスである。これでは示しがつかないと思って、ぼくはテントから外に飛び出した。ココナッツサブレはカラスとしては少し荷が重い。地面に取り落としては咥え直してぴょんぴょんと逃げていく。しかし、こちらが本気出していることを悟ったカラスは、しっかり咥えると大急ぎで飛び立った。約50メートル、水場あたりに着地。憤然として追いかける。カラスはさらに逃げて、高い外灯の上だ。ココナッツサブレも外灯に載せて羽休み。ここまで来れないだろう、と高をくくったコシャクな風情である。腹だち紛れに、ぼくは石を投げつける。カラスは悠然と飛び立って、今度は樹上に止まって羽休みに箸休め。追いかけたが、複数のカラスがいてどれだか分からない。ココナッツサブレもどこかに隠してしまったようだ。お手上げだと思って、引き上げようとしたところ、背後から頭を爪でゴンと叩かれた。完敗だ。頭をさすっているのを枝の上からカラスが黙って見つめている。 #
by isourou1
| 2022-05-21 22:54
| ホームレス文化
●1月24日 9時30分 あれぇ、これなにー、というスットンキョウな職員の声で目を覚ました。隣の小屋の住人に、そのサービスセンターの職員が、このテントなに? と聞いている声も聞こえてきた。どうやら新たなテントが出現したらしい。眠い目をこすりながら、あわてて外に出る。ぼくのテントからも、ほど近い場所に、ブルーシートが盛り上がっているのが見えた。御輿ほどの大きさで、骨組みが中にあるようだ。これ、だれだか知っている? と職員が聞いてきたので、今はじめて気づいた、と答える。隣の小屋の人に「俺のテントどうした、と聞かれたら知らないと言えばいいから。どなりこんでくるかもしれないから」と職員が言っている。ぼくにも、困るよねぇと言うので、別に困りはしないけど、と答える。ぼくらが迷惑に感じているかのように誘導したいようだ。さっそく同日付けの期限で「自主撤去しない場合は撤去し、サービスセンターで保管または廃棄します」という張り紙がされた。 東京都は公園に新たなテントを張らせようとしない。管理側には、昔は高圧的だったり悪意ある感じの人が見受けられたが、近頃は比較的にソフトな人が多い。それでも、新規テントが作れないことは厳冬期でも変わらない。そのため、ブルーシートの小山をみて、ぼくは来たる撤去というーーどういう経緯であれ、生活の破壊という意味で暴力的なーー光景が頭に浮かび、テントの出現という滅多にない出来事が陰鬱にかげりゆくのを感じざるを得なかった。また、どういう人なのか分からないのも不安だった。この生活が長い人ほど、野宿者同士で知り合うことに慎重に時間をかけるものだ。それは、様々な痛い思いの末、残念ながらたどり着く処世術のようだ。名刺をやりとりする世界とちがって、相手がどんな人だか予期できない。しばしの逡巡の後、良い人なら歓迎だし、ろくでもない人でも付き合わなければよいだけだと思い、まずはアプローチしてみることにした。 ●1月24日 14時 「近くのテントの者です。もし必要があれば相談ください」と自分のテントまでの図をそえて、ブルーシートに張った。 ●1月24日 16時15分 車の停まる音がしたので表に出る。 職員が、来たのを見た?、と聞くので、見てないと答える。張り紙が、と職員が言いかけたので、ぼくが張ったよ、と言うと、職員は、張り紙がない、と狐につままれたような顔。見に行くと、ぼくの張り紙もなくなっている。シートの形も多少変わったし、帰ってきているようだ。 ●1月24日 17時 職員に警備員、そしてセンター所長が来た。テントに向かって声をかけているが反応はないようだ。パウチされた大きな警告文を職員が手に持っている。サービスセンターにて保管しました、という文言が見える。 知っている人?、と所長。全然知らない、とぼく。「会って話をしたいんだよね。保管した方がやってくると思う」と所長。「張り紙を剥がしてあるのは確認していますよね。道路の管理では、張り紙を剥がしてあったら所有者がいるということで荷物を持って行かないですよね」とぼく。そうしているね、と所長。「慎重に考えた方がいいですよ。本当に困っている人かもしれない」とぼく。所長は、厳冬期だし、と言って「看板は置いていいでしょ。実際は、撤去はしないから」とカラーコーンに張り付けた警告文を残して立ち去った。 今日はテントが残ることになった。しかし、不在なら明日には撤去されてしまうだろう。 新しい住人は、ぼくの近くに4、5年前まで小屋のあったSさんではないかと推測していた。Sさんが手荷物を置いて芝生で寝ている姿を最近、何度か目にしていたからだ。テント村の奥深くに住処をつくったり、人目につかないように出入りするのは、よほど土地勘がないと難しいとも思えた。キャンプ用テントを使っていないこともSさんを思わせた。 テント村にいた頃のSさんは炊き出しに並ぶこともなく、基本的にはゴミ箱から拾ったものを食べていた。ぼくが余った食べ物を持って行くと、ありがとう、と答えた。濃いヒゲを生やし、度の強そうな黒縁メガネに毛糸の縁なし帽、トレパンをはいて、すらっと背が高い。ぼくより少し若かかった。Sさんは誰とも交流しない謎の人だった。それが、若い男と芝生で並んで話すようになり珍しいこともあると思っていたら、そのうちテント村からSさんは姿を消したのだった。 ●1月25日 9時 所長、副所長、職員が新テントを囲んで、中の人と話している。ここにいることは出来ないからテントを畳んでくれますか、などと副所長が話しかけている。中から声は聞こえない。午前中にまた来ますから、と副所長。引き上げながら、副所長がぼくに、前にいた人だね、と小声で言う。ヒゲの? と聞くと、少し間があって、サングラスの若い女性。意外だったが、そういう人がいることは以前から話には聞いていた。 若い女性なら、なおさら強引なことはしないでくださいね、と言うと副所長は肯いたが、所長は、合意をとったから、と顔をそむけて足早に去った。 テント村のIさんに女性だったことを伝えに行く。早速、Iさんがシート越しに話しかけていた。女性の野宿者には、出来る限りIさんが対応する事にしている。 Iさんによると、女性はあまり話したがらない、二日酔いで気持ち悪そうで吐き気があるという。二日酔い? これまた意外。ウィスキーか何かをがぶ飲みしたらしい。また、副所長は、元いた場所へ帰るよう女性に言ったらしい。そこは公園内だが吹きさらしの場所だ。 所長の「合意」という言葉は、寝場所を自ら壊すという言質をとったことをもって、様子見するという意味に思えた。ぼくとしては、新住民と作戦会議をしたいところだったが、そういう状況でもないので、やきもきする。 ●1月25日 12時 所長、副所長、職員がくる。職員の手には、パウチされた新たな文書がある。不在ならテントを撤去しようと考えていたようだ。だが、女性はテントの中にいた。副所長が、ここはテントを張る場所ではない、と繰り返しているのが聞こえる。ブルーシートがふるえるのは副所長が揺らしているのだろうか。体調が悪いならテントを畳んで、サービスセンターで休憩をして、それから救急車を呼んでもいいし、と副所長。1時間後に片づけて出て行くと約束したじゃないですか、顔を出してください、この状況をまず変えましょう。 副所長がブルーシートをまくり始める。茶髪が少し見えた。うずくまっているようだ。まぶしい、と女性が言ったようで、副所長はシートを元に戻した。 センターの許可があれば住んでもいいって言われました、という女性の声が聞こえた。許可があればいいと言われたんですか、と副所長は一瞬、言葉は詰まらせたが、許可するということはありませんから、と強調する。 ぼくが、体調が悪いわけでしょ、なにも急かすことないじゃないですか、と言う。Iさんが、救急車よぶとか脅しになりますよ、と言う。 副所長は、ぼくたちの方に振りかえりながら、我々は心配しているんですよ、このご時世で我々だって強引なことはしませんよ、それは分かっているでしょう、現にやってないじゃないですか。 再び、女性に向き直って、区とか警察とかでなく我々と二人っきりで話しましょう、この場所以外でどうやっていくかということについて、と副所長。 同行できるでしょ、とぼくが言うと、もちろん、と副所長。今後どうするか決まってから動くようにすればいい、とIさん。 所長が、今はこのまま帰ります、また13時に来ます、と言う。副所長が、それまでに気持ちを含めて整理をしておいてください、と言い、張り紙せずに帰る。 ●1月25日 12時半 Iさんが女性に話に行くが、返事がないとのこと。ガサガサ、中から音がしている、とも。 ●1月25日 13時 例によって3人くる。副所長がブルーシートを覗き込むようにして、片づけてくれたんだね、ありがとうございますね、と声をかけている。大丈夫、動ける? 話にくいから一回とっちゃうか、などと言いながらブルーシートをめくる。ぼくは止めに入るが、半分シートがめくれた。折りたたみテーブルの上に置かれた大きな直方体の旅行鞄とテーブルの端に座り背中を向けて俯いている女性の姿が露わになった。少し長めの半ズボンから白い素足がむき出しだ。副所長が頭の上から言葉をかける。 話せる、大丈夫? 病院とか行こうか、一緒に行こうか。まず話ししようよ。話したくないの、具合悪くて話せないの、どっち? 話したくないの。このまま話もできないとなると……前から俺らお姉さんのこと知っているからさ、お姉さんの意思があればね、私はここにいたいんだ、とか、ここから出て行くとか、意思があればそれに則って話が出来るんだけど、何にも言ってくれないからさ。荷物おいてテント張って、というのは出来ないから、このままいくと一緒に片づけて貰うことになっちゃうんだけど、それでもいいかな。お姉さんの意思が分からないから、俺らもこのまま放っておくわけにはいかないからさ、なんとか話して、どうしたいとかああしたいとかあれば、そういう風になるようにするからさぁ、話できる? Iさんが、分かんないんだよ、と助け船を出すと、副所長が、だって話も出来ないんじゃ、病院とか警察だという話になっちゃうじゃないですか、と語気を強める。 もうちょっとソフトに、とぼく。ここにいたいんですよ、とIさん。 ここはいてもいい場所じゃないですよ!と副所長。とりあえずシートはがせばいいでしょ、とIさん。 シートはがしたら寒いでしょ、どうなの?。荷物とか一緒に片付けていい? 、と副所長。 片付けはしなくても。荷物だから、手荷物だから、とIさん。困ったねぇ、だいぶ片付けてくれてはいるからさ、と副所長。どうしたらいいか分からないんだよ、Iさん。 どうしたらいいか分からない……そうだよね、だったらサービスセンターに行って話ししようか、暖かくて落ち着いたところでさ、と副所長。 女性は俯いたまま。 姉さん、どう、話せる? ここにいたいの? どうしたいとかない? 体がだるいとか、うち帰りたいとか、困っていることとか、悩んでいることとか、と畳みかける副所長。 言葉は出ていないかもしれないけど、状態としては、ここにいたいからここにいるわけでしょ、とぼく。 もし、どこにも行くところがなくて困っているというのならセンターで保護する、ここはいさせられない、と副所長。保護!? 思わずIさんとぼくは声を合わせた。 話は、ここですればいいでしょ、とIさん。ここにいたら変わらないでしょ、と副所長。本人のペースでさ、怖いよ、そんな立て続けに言ったら、とIさん。 今朝も1時間後には片づけて出て行きますって、と副所長。片づけているじゃない、とIさん。 でも、このまま明日も明後日も、となる可能性もあるじゃない、と副所長。どうしようか考えているんでしょ、とIさん。うーん、うなる副所長。 まわりにもテントがあるし、泊まれるかなと思ってやってきたら、こんなことになって困っているんでしょ、とIさん。 でも前からお姉さんには公園では寝泊まりできないって言っているよね、と副所長。 そういうこと言うのはやめようよ、とIさん。 こっから出してとかそういうことではなくて、まずは話ができる環境になりつつ、そうはいっても、公園のルールを守ってほしいというだけ、との副所長の話の途中に割り込み、 センターに行きましょうだけだったら不安ですよ、その間に壊すでしょ。センターで話している間はこの状態に手をつけません、ということでないと、とぼく。 自分たちとしてはちょっとずつでも意思疎通をね、なにを思っているのか、と形勢不利とみてか所長が口を開く。 ちょっとずつだったら、今日一気にやらなくてもいいんじゃないの、とIさん。 そういう意味では、この存在を昨日から気づいていて、だめよという話をして、チラシもはって、と所長。 センター行かなくてもいいじゃん、とIさん。 別にセンターに行かなくてもいいんだよ、でも寒いし、具合悪いかもしれないし、と副所長。どう、片づけられる?、と副所長。 うん、と女性が言ったようだ。 じゃあ一緒にやろうよ、と副所長。自分でやります、と今度は、はっきりと女性が言う。 ここはさぁ、あぶないよ、ぶっそうだよ、と副所長。何を言っているの? 公園の中でここは一番安全だよ、とぼく。所長ら、失笑がもれる。 心配なんだけど、動ける?、と副所長。 女性に耳打ちしてから、Iさんが、飲んじゃったみたい、と説明をする。 でもしょうがないね、飲んじゃったと言ってもね、と副所長。 本当は昨日のうちにさせてもらう、ということだったけどいろいろ事情はあるだろうから、こうなっているわけで、十分事情を加味していますよね、正直いって、ご本人の意思を尊重していますよ、僕らも。そればっかりというわけにもいかない。ぼくらも嫌なこと言いたくて来ているわけではなくて、別に公園のルールを守っていただければさ、こないだみたいにさ、公園のところに寝ていることについては文句いわなかった、というか何も言わなかったでしょ。ただ、ここはだめだよ、と言っているだけだから、と副所長。 分かったから、片づけるって言っているから、17時くらいに来て確認すればいいでしょ、とIさん。 じゃあ、何時くらいに片づけられる、と副所長が言うと、女性は、一回で片づけられない、と答えたようだった。 いや、手伝うよ、俺らも、もしあれだったら、と副所長。 自分でやりたい、と女性がきっぱり。 16時になると暗くなるから、と所長。じゃあ16時で、とIさん。暗くなっちゃうから、と副所長。じゃあ15時で、とIさん。 でも待てないなぁ、やっぱり、一緒に片づけようよ、今まではタイミングを待ってきたけれども、多少に荷物は片づけてくれたけど、でも、ここであと1時間後に、とか、一緒にと言ってくれたらいいけど、それがなかったら、本当に約束を守ってくれるのかという、と副所長。 あと、2時間、1時間くらい、とIさん。 それで出来なかったら、一緒に片づけしてサービスセンターに持って行くということになっちゃうけど、と副所長。 おこってた、と女性が他のテントを素早く指さした。何か小声で訴えたが、ぼくには聞こえなかった。 台車を持っていかれたなら貸すよ、うちの、と副所長。あるからいい、とIさん。 あっちよりこっちがいいと思った、と女性。 そうだよね、あっちよりいいと思ったんだよね、とIさんが繰り返す。 そう、しばらく見なかったから、家に帰ったとか、ちがう生活拠点ができたかなと思ったんですよ、と副所長。 どうしようか、どう15時くらいまでに一人で片づけられる? 難しそうじゃない、今日どこに行くとかもないわけでしょ、そしたら、また公園にいることになるんだよね、そうしたら、あんまり意味もないからさ、そういうのも含めて話が出来たら、と副所長。 そんないろいろ人生を考えなくてならないといけないのはつらいよ、とIさん。 とりあえず14時半にまたきます、と所長。早まった、とIさん。じゃあ15時、と所長。いや、待った、所長だめだよ、と副所長。 そんなに延長するなら片づけてもらう約束しないといけない、と副所長。 荷物とこの方がいるのは一般利用者と変わらないよね、それをダメとは言えないんじゃない、とぼく。ここから外にでる、それが15時、と副所長。 この場所だって公園ですよね、荷物と一緒にいるのはダメとはいえない、とぼく。 丘とかで、こうして荷物と一緒に具合悪そうにしていたら声をかけますよ、と副所長。声をかけるだけでしょ、とぼく。 出て行ってください、とは言わないけど、見過ごすことはできない。15時までに片づけてくれないと、こちらで片づけて荷物は預かるということでいいの?、と副所長。 というか、それには法律もある、ホームレス自立支援法。福祉、自立の施策と連携をはかりつつ、ということになっている。今の状態が連携をはかっているかというと厳しいよね、とぼく。所長は軽くうなづく。 14時半に、ここを出る準備できてなかったら、俺らかたづけちゃうよ、と副所長。 だからそれは法文的にきびしいと言っている、とぼく。 だって、自分でうんと言っていたもん、と副所長。 そういう話ではない、とぼく。 そしたら、今すぐ。15時とか14時半、は片づけるのが前提の話、と副所長。本人が片づけてもいいと言わない限り、そっちが手をかけるのはまずいよ、とぼく。 どうしようか、どうしたい、なんかある、と副所長。 何回も出直して貰ってご苦労だけど、14時半にまたきたらいいんじゃないの、とぼく。 あくまでもテントの中を片づけただけであって、実際のところ、ぼくらからいって状況が変わってないわけですよ、と副所長。 外から見られたくないのよ、なんでそういうことも分からないの、とIさん。 中を片づけたのは分かったけど、と副所長。いったん離れよう、とIさん。 なにせ本人の口から聞けないからさぁ、それが困りますよ、と副所長はニガリ切った口調。 14時半で片づけてもらえるなら手をあげて貰える?、しゃべらなくてもいいから、アクション的なことでもいいから、と所長。 その時、ここにいたい、と女性と言った。 ここにいたいの? と副所長。 うん、と女性。 今話したとおり、公園にはいいよ、ま、公園は本当は寝泊まりするところじゃないんだけど、いろいろと状況もあるからさ。ただこれはダメなのよ。ここでテントはっちゃうのはダメなのよ、それは分かってくれた? ここにいたいの? この場所に? それとも、家に帰りたいとか、そういうことではないの、本当は、と副所長。 まわりにテントがあるから安心というのはあるんじゃないの、とIさん。 ふつう思うよね、とぼく。どうしようかと思っているんだよ、だめだっていうのは分かっている、とIさん。 14時半までに片づけて戻れる状態に。もちろん、自分たちに会いたくないんだったらいなくていいから、待ってなくてはいけないということではないから。もちろん、このままの状態で自分たちに会いたくないと、いなくても、昨日から警告しているとおり片づけてしまうよ、それは約束だからね、と所長。 それはいい? そうするからね、いま、はいって言ったからね、じゃあ、14時半までに片づけて。片づけてなかったら俺らがね、と副所長。 そそくさと帰ろうとする。 今、所長が言っていたのは、片づけてなかったらじゃなくて、片づけてなくて、なおかつ本人もいなかったらということだよ、とぼくは副所長に言う。 本人がいても片づけるよ、と副所長。 所長と言っていることが違っているじゃん、とぼく。 だめだめだめ、副所長。 法律的全然ちがう、言っていることが違う、と所長に言うと、 同じです、と所長。 そういうことでね、14時半までに片づけるっていうことで、もし本人がいても片づけられなかったら俺らが片づけるからね、それでいい? 大丈夫? そういうことでね、14時半までに片づけてね、と副所長が言い捨てながら引き上げていく。 ●1月25日 14時15分 Iさんが女性のところで慌ただしく立ち働いている。ぼくは少し遠目に見ていたが、Iさんに手招きされる。ブルーシートを畳むのを手伝って、とIさんが言う。かなり大きい。女性は後ろを向きながら、いいですよー、と断わる。声のトーンが人工的に明るい。淡いピンクのトレパンのような服装。Iさんとシートを畳む。女性は台車に荷物を載せている。苗木用の棒や鉄パイプ数本、バケツ、直方体の大きなリュック等。ぼくは、「せっかくテントつくったのに、あまり力になれすにすいません」と言う。我ながら空々しく響いた。女性の反応はナシ。 ●1月25日 14時30分 重そうなリュックを女性が背負い、Iさんが台車を押して出発しようとした時に、センターの3人がやってくる。「片づけてくれてどうもありがとうございます。手伝いましょうか? 」と副所長。Iさん、女性、無言。ぼくもパイプを手に、副所長をジロリと見つつ脇を通り過ぎる。女性は足早だ。しばらく進んだところで、置き忘れてきたミニサイクルをIさんが取りに戻ることになった。女性は台車も押して進もうとする。荷物が崩れて台車から転がる。ぼくは、女性に、Iさんが戻ってくるまで待ちましょう、と声をかける。女性は荷物を拾い集めて台車に載せて先に進む。Iさんはミニサイクルを押しながらすぐに戻ってきたが、ぼくは、Iさんにパイプを渡して、ぼくはここで、と言う。何で? と言うIさんに、ぼくはもういいと思う、と答える。 Iさんは女性の少し後ろを付いていく。女性は、タイヤの動きの悪い台車を力づくでまっすぐに走らせようとしている。その後ろ姿から、誰も頼りにならないし、誰も頼りにしていない、という彼女のメッセージが強く伝わってくるようで、ぼくは半ば打ちのめされたような気持ちで見送っていた。
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by isourou1
| 2022-05-14 10:58
| ホームレス文化
ーーサンカの村の中へ入ってみたら、名前を呼ぶのにだれそれというのがない。みんな国を言う。紀州とか、和州とか、泉州とかね。初めは、それが一つもわからなかった。私は山口県の生まれですから、それへ行ったら「長州来たか」って言われる。名字なんか言いやしない。 (談 宮本常一 逃げ場のない差別のひだ 朝日ジャーナル1977年) 野宿者の中では、とくに本名を名乗る必要もないし、むしろデメリットがある。過去の係累を絶った上で野宿生活をしている人が大半だからだ。ただ、呼びかけたり、指し示すのには名前は必要になる。 引用した文章は橋の下にある集落での大正末期の話だが、テント村でも事情はそう変わらなかった。いま、思いつくだけでも、地名にちなんだ呼称は 埼玉、秋田、山梨、小樽、山形、 山口、沖縄、 などがあった。岩さん、と呼ばれている人もいた。元は岩手だったのだろうが、略した名前でしか呼ばれていなくて、すでに何の略なのかも分からなかったが、本人が特定できれば用は足りるのだった。よくある名前を通称にしている人も当然ながら多かったが、それは自分で名乗ったのだろうと思う。地名で呼ばれていた人は、おそらく自分で名乗らないため、周りが呼び名として付けたのだろう。また、土地の訛が特徴的な人もいて、それが共通の認識になりやすく覚えやすかったのだろうと思う。埼玉や沖縄というのは人名ではないことは明らかだったが特に違和感もなく使われていた。 一方で、本名はこれこれだ、という風に伝わってくることもあった。それを聞くと、あまり一般的ではない名前が多かったように思う。つまり、本名がよくある名前の場合は匿名性が高いからそのまま使うが、特定されやすい希少な名前は使わないものなのである。 どうして本名が囁かれるようになるかといえば、生活保護などの福祉を利用するときに本名での申告が必要になり、不用意に窓口で職員が名前を呼んだりすることによって漏れてしまうのである。また、最近では、仕事において本人確認が必要になったりしているので、そういうことから漏れるのかもしれない。囁かれたからといって、それだけの話ではあるが、本名ではないことについての、周囲の猜疑の目や本人の負い目が、うっすらとあるように感じる。名前にまつわることは、過去の差別の蓄積が何らか反映した心性の微妙な部分を刺激するところがあるようだ。 #
by isourou1
| 2022-05-13 23:36
| ホームレス文化
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