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夕方に見舞いに行ってみた。ベットに寝そべり相変わらず骨と皮だ。まいったなぁ。と起き上がり、頭をなでる。本人の弁では、抗ガン剤によりバッサリと抜けたそうだ。あのまま飲んでいたら今頃、髪はないよ。輸血を昨日からしているそうだ。明日から明後日に手術をする、という。へぇ、N病院で?と聞くとH病院だという。でも、すぐに帰るらしいよ。とMさん。手術後は、しばらくその病院に滞在するものと思っていたので、意外であった。出張だな。とMさん。結局、ここで死ぬんだなぁという。点滴も2本刺さっている。特に、手術を前に不安だという様子でもない。そういった肝は座っているのかもしれない。テント村の大豆さんが、病院に行ったと言っていたので、尋ねると、ああ来たな、こなくていいって言ったんだ、来たってしょうがないんだから。とMさん。コーヒーを2本買ってから、相撲をテレビで見出したMさんを後に病室を出た。手術が受けられるくらい体力が回復したということだろうか、、。Mさんの手術は、ガンを切除するのではなく、食べ物が腫瘍で詰まってしまうことを避けるために、患部を飛ばして腸管をつなぐバイパス手術と言われるものだ。腫瘍はそのままだけど、食事をとれるようになる。Mさんにとってそれはうれしいはずだ。医療的には、経口の抗ガン剤の投与が可能になる。しかし、切開手術であり、マイナスだってあるだろう。医者がナースセンターにいたので、尋ねてみることにした。
「Mさんに聞いたら手術受けることになったと言っていたんですけど。」 でっぷりとした院長先生は、横を向いたまま「それは誤解」と言って椅子を回転させた。 「前の病院に見切りつけられちゃったんだよねぇ。Mさん、手術うけるとか受けないとか変わったじゃない。それで見切りつけられた。」 はぁ?と思った。なんだその言い方は、と喉元まで出かかって、グっと飲み込んだ。 「で、とりあえず、ちがう病院で検査を受けることになった。」 「、、、手術はしないんですか?」 「わかんない。するかもしれないし、しないかもしれない。」 「ここに戻ってくるんですか?」 「それも分からない。」 そうですか、と言って引き下がった。 なんだろうこの感じは。おそらく院長先生は、手術できる他の大病院を探すのにストレスがあったのかもしれない。個人病院と大病院では格の違いでもあって、頼みごとするのに苦労があるのかもしれない。実際、Mさんに以前院長先生が「N病院の先生から、Mさんどうなっているんですか、って連絡があったんだよ。こんなこと滅多にないんだから。」と言っているのを横で聞いたことがある。それにしても、「見切りをつけた」という言い方は、どうなんだろう。実務が大変なことは分かるが、こういう現実と言い方が平気で横行しているとは、お寒い限りである。患者が、手術を悩むのは当たり前だろうし、たしかにMさんは頑固な人だが、新たに再入院してからは、手術を受けたい、ということは揺るがなかったはずである。やっぱり、その見切りをつけたという「人道と博愛」を唱っている大病院にしても、個人病院の院長先生にしても、傲慢である感じがする。それによって、不信感を患者を持ち、そのため医師が強圧的になるという繰り返しがあるなら、医療にとってもマイナスにしかならない。まぁ、ぼくに誤解もあるのか分からないけど、そんな感じを受けたので、とりあえず頻繁にお見舞いに行ってみようと思った。 それで、ムカムカしながら買い物をして、自転車のカゴに荷物をのせる時、自転車を倒して、卵が割れてしまった。その時、スっとして、急に怒りが収まった。不思議なものだな、と思った。書きながら、また少し、腹がたってしまったが。 Mさんのエピソード「大阪にいく」 前回のエピソードは、病院からテント村に戻ってきた初めの日のことだった。 今回は、次の日とその次の日の朝までのことを書こうと思う。 Mさんがテント村に帰ってきてから一夜明けた日は、月に一度の特別清掃の予定だった。しかし、昨夜から明け方にかけて雨が降ったらしく、朝8時頃に延期のアナウンスが流れた。たしかに、再び雨が降りそうな空模様だったし、地面もだいぶ濡れていた。Mさんのテントを見にいってみると、Mさんはだいぶやつれた様子だった。夜2時ころまでテレビを見ていたというが、あまり眠れなかったようだ。雨が入ってきて床に敷いた段ボールが濡れたそうだ。「雪が降ったんだな。」とMさんが言っていて、たしかにテントの前に白いものが転々とあったが、触ってみると綿毛の固まりのようだった。「事務所が後でやってくるようだから、進退が決まるまでいさせてくれと言ってみたら。」というと「そうだな。」と答えた。地面に落ちている枝などを拾っては手でいじっていた。 事務所が延期の告知のチラシをもってテントに回って来たとき、係長の山崎さんに「Mさん帰ってきたよ。」というと「え、ウソ。どこに。聞いてないよ。」と驚いていた。事務所は対応に困っている様子で、後でくると言って立ち去っていった。MさんとよくMさんのテントを訪れていた米田さんの話をした。「米田さんは、マンガ喫茶で亡くなったんだそうだよ。公園で寝たりマンガ喫茶で寝たりして家には帰らなかったようだよ。どうしてかな?」とMさん。「Mさんもそうかもしれないけど、長年テントで一人でやってきた人がアパートに住むのは難しいよ。」というと「そうだ。」。米田さんは、アパート移行事業の時、アパートにはいかないよ、と言っていたのだが、気が変わったのか、テントを畳んだ。でも、アパート移ってからもよくテント村に来ていた。はなすと、諦観したような不思議に人なつっこい笑顔を浮かべた。炊き出しの列に並んでいることも多かった。好きな感じの人だった。セビロさんの話もした。Mさんは親しかったようだ。セビロさんは、H病院で喉頭ガンで亡くなった。セビロさんは、だいぶ刑務所も長かったようだが、静かな配慮のある人で、フリマで売れないガラクタのようなものを、フッフッフと笑いをこらえるような声を出しながら持ってきてくれた。ぼくも思い出深い人で、たまにセビロさんの家の前のたき火に当たりに行っていた。 そんな思い出話をしていると、事務所の人たちが戻ってきてMさんの説得を始めた。Mさんは、「仕方ないからいるんだ。歩けるようになったら出ていく。」と言っていた。午後から福祉の丸田さんがくるということになり、事務所はいったん引き上げていった。 午後になって、事務所の人たちがやってきて「Mさんは山上病院に丸田さんと行ったよ。」というので驚いた。「テントは畳んでくれる?」。というのでテントを見にいくと、Mさんの荷物がそのままにある。事務所も入院ということで行ったのかは分からないという。「本人は帰ってくるつもりとしか思えない。」というと「事務所で荷物は預かる」という。テントをこのまま建てているわけにはいかない、という姿勢だったが、「それじゃ、帰ってきたら路上で生活することになるよ。」と言う。係長は、「テントがあるからここに住むことを助長してしまう。」という。「とにかく病院に行ってMさんの考えを聞いてくるから、それからでも遅くはないだろう。」というと、事務所もようやく納得してくれた。 病院に直行すると、診察室から「新宿へ行ってどうするの!?」という大声が聞こえる。反論しているらしいMさんの声も。だいぶもめているなぁ、と思う。勝手にドアを開けて中に入ると、院長先生とMさんが相対しておりMさんの背後に車いすにもたれるようにして丸田さんがいる。「テント村のものです。」と挨拶すると院長は「Mさんが、仲間が仲間が、っていうんだよ。」。院長は少し優しい口調になり「Mさんどうしているかなぁ、大丈夫かなぁ、とぼくだってやっぱり心配したんだよ。」という。院長は、いろいろと説得しようとする。手詰まりになったのかぼくに「あなたはどう思う?」と振ってくる。「ぼくも頑固なんですが、やっぱり自分で確かめて納得しないと動かないと思います。Mさんの気に添うようにするしかないんじゃないでしょうか。」と答えた。「あなたも頑固なの、うーーん」と院長。「入院しないといけないのですか?」ときくと、院長は「絶対入院しないといけないということではないよ。食事と薬の管理がきちんとできれば、通院でも大丈夫だけど。管理する人はいないでしょ。」。丸田さんを見ると無理という。「薬の管理くらいなら、ぼくでもできるとは思うけど。」という。「でも、限界はあります。」と付け加える。Mさんが、今日は嫌になった、という。院長から、頭ごなしに自分の計画を否定されたので嫌になったらしかった。とにかく、明日再び病院にきて診察を受けるということになった。丸田さんが車イスを押して公園に戻った。外に出るとMさんも丸田さんも気が晴れたように話していた。やっぱり病院というのは雰囲気があまり良くない。 丸田さんは、事務所に挨拶をして帰っていった。係長と3人で外で話す。西日がまぶしい。ぼくは「事務所がテントを畳んだのは、Mさんの許可もあったみたいだし、手続き的におかしいとは言わないけど、帰ってくるということはよくあるんですよ。だから、進退がはっきりしてから畳んだ方がいいです。今回は、進退が決まるまでテントをお願いできませんか。」という。係長は、「事務所の立場としてはこのままというわけにはいかない。新規テントと一緒だから。まぁ、集約地以外なら滞留者という扱いもあるけど、、、。」Mさんが「今日一日だけ、テントに泊めてくれ。今日一日だけでいい。」係長は、「事務所として確認には行かないよ。」という。 車イスをおしてテント近くまで行く。Mさんは後ろも見ずにスタコラと歩いて自分のテントに向かって行った。 次の日、朝10時に病院に行く約束になっていた。そこで、9時半くらいにテントを見に行ってみると、チャックが半開きになっていて、50センチ四方の段ボールが入り口にたてかけてあった。ボールペンで殴り書きしている。その文句を読んで、のけぞった。 「大阪へいく。東京サムイ から大阪エク。ISOさんゴメンネ。」 えーー!大阪?? あまりのことに心配というより、面白い!!と思ってしまった。早速、カメラを取りにいって、段ボールを写していると、後ろから手を打つ音がする。振りかえると、草に隠れてMさんの姿。あれーー、大阪じゃなかったの?。テントから数メートル離れただけだが、草むらの中の一角が地面をならしてあって、格好の隠れ場所になっている。Mさんは、荷物を並べている。日干しと整理をしている様子だ。ちょうど日当たりがよい。ぼくは横にしゃがんだ。「大阪には知り合いがいるの。」「知り合いはいない。でも愛隣にいけば、誰かいるだろう。」「西成?。ドヤに泊まるの?」「そうだ。」「ドヤだったらさぁ、山谷とか横浜の寿町の方が近いんじゃないの。大阪は遠いよ。」「新幹線じゃ高くていけないものな。鈍行で10時間くらいか。」「それぐらいかかるよ。寿とかだったらぼくの知り合いもいるし、一緒に行くよ。」Mさんは、地面の枝を拾っていじりだした。悩む時のくせだ。「でも、近くだとまた山上病院に行かないといけないだろ。」「山上病院以外だったら行くの?」「行く。どうしても手術したいみたいで、おかしいんだ。」「渋谷以外だったら、山上病院に行くことはないよ。」「そうか。それだったら近いほうがいいな。」とMさん。大阪の話をやっと関東にまで持ってこれた。しかし、とても山上病院に受診にいくのは無理そうだ。でも、Mさんは、院長怒っているだろうなぁ、と気にしていた。毛布が濡れたからと言って、クリーニング代を三千円くれようとして断るのに苦労する。この秘密の草むらで、Mさんとこの日たくさん話した。気持ちが高揚しているのかいつになく多弁であった。 この時の話はまた次回に。 そして未だに気になっているのは、もしこの時Mさんが大阪に向かっていたらどうなったのかということだ。歩くのにやっとなのにとても、大阪まではたどりつかなかったとは思う。しかし、Mさんの場合やりたいことをやった時に思わぬ力が出るということもありそうだ。不安もあっただろうが、ワクワクした気持ちもあったように見えた。遠足前の感じもあったのだ。Mさんの未来に向かっていた気持ちをぼくは折ってしまったのかもしれないと心残りがある。 それでも、テント村には日頃は外側から分からなくても、そういう未来に自分の投げ出す人たちも住んでいるところなんだというのは言えると思う。それは誇らしいことだ。
by isourou1
| 2011-01-18 01:00
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