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年を一才とる、ということも大変だ。
昨日がぼくの誕生日だった。 数字が一つ増えるということが、何も大変なわけではもちろんない。しかし、確実に老いていく、ということを確認する日であり、それを大げさにいえば引き受けていく日である。 毎年のことながら、昨日も、誕生日会を行った。 なんで、わざわざ自分の生まれた日に人に集まってもらうのか(主催したのは、ぼくではないにしても。)。 それは、やはり、この年をとっていく、ということを「みなさん」と一緒に乗り越えていく、というと、いかにも大仰ではあるが、、、そういう含意がある。 なんだろう、みなさんがぼくの産婆であり、ぼくもみなさんの産婆である、という一種のサンバカーニバルというか。そういう狂騒の中で、どうにか無事に今年も一才年を加えていける、という。年をとるのにも、産みの苦しみが薄く繰り返されるわけである。 そこで、今年は、誉め大会、なるものを行うことになった。とにかく来てくれた人に、ぼくが誉めてもらうのである。絞り出した苦肉の一言、悪いところをどうにか逆転させる、割と素直に誉めるかと思うと釘をさす、感謝を述べつつプレッシャーをかける、ほかを目をつぶってピンポイントを狙う、ともかくもすべてが誉め言葉だ。 誰でも言うことであるが、年をとると、一年が早い。 その早さの体感には、あまりに取りこぼしたことが多い、やれてないことが多い、寝て過ごしてしまった、、、という無為なる時間への悔やみが織り込まれている。 四〇歳を過ぎて、年をとることに、ある種の重力が感じられる。重いわけだ。なんとか誉めていただいて、それを乗り越える、虫がいいか。 そして、年をとるのはぼくばかりではない。みんなである。テント村には、年をとっているという意味での先輩たちには事かかない。ぼくなどは、「まだ若いから」の一言で片づけられることもある。 誕生会に来てくれたテント村の人たちの二人は杖をついていた。一人は、ガンで、一人はぎっくり腰で、歩くのがやっとなのであった。それでも、なお、誕生会にきてぼくなどを誉めるという気持ちの余裕がある、それはすごいことだと思う。 それにしても、、、入院中の人もいるし、、、テント村全体が老いてきている、ということをまざまざと感じた。 新しい生命が誕生しないことはもちろん、新しい住人も増えないのだから、当たり前ではある。 このまま5年、10年とテント村は老いていくのだろうか、、、。そう思うと、焦りにも似た気持ちが湧いていくる。
by isourou1
| 2011-12-13 12:06
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