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ぼくの住んでいる地区のまわりでは、現在不審火が続発している。それも、多くは野宿者の荷物からの出火だ。自然に発火するわけはないから「放火」であり、また場所も人も多岐にわたることから個人間の遺恨がおそらく理由でもないだろう。昨年の暮れから、知っているだけでもう9件になる。
サイレンが聞こえる度にどこへ行くのか耳をすませるのが癖になった。焼け跡を見るたびに、その無惨な有様に気持ちが暗くなりヒリヒリする。焼け焦げになった生活の品々は消火の水や粉末にまみれ、あたりには異臭が漂う。それは、生活が殺された姿である。また、加害者の荒涼とした内面を表しているようでもある。 荷物を焼かれた人と話す機会が何度かあった。一人はコインランドリーに洗濯に行っている間に丸焼けになっていた。段ボールハウスに帰ってきた30代のその人は、しばらく焼け跡で声もない様子だった。信じられない、ショックだ、と表情を硬くしていた。それでも、自分の失火ではないことを伝えるために、警察を呼び事情を話した。警察は、失火を疑いまた遺恨を疑い、彼が被害者であるにも関わらずさらにストレスを与えた。火がついた場所からも放火であることが明白であるにも関わらず、翌日の新聞には「失火の可能性」と書かれてあった。 もう一人の方は、IOCの東京視察のために都から撤去の警告を受け、テントを畳み、まとめた荷物を移動した先で火をつけられた。ぼくは、その焼け跡に子供のころからの厚いアルバムが転がっているのを見た。彼は、「なんにも出来ない男になってしまいました」と口癖のように言う非常に腰の低い人だった。しばらく後に会った時には、みんな燃えてしまいました、とがっくりと肩を落としていた。出ていく(どこへ?)つもりだったらしいが、思い直して、またテント生活を再開した。 もう一人の人は、燃えている自分の荷物を周囲の人や通行人の助けを借りて、バケツで水を汲んで消し止めた。バイタリティーのある人だが、燃やされた時間になると落ち着かない、誰もが放火犯に見える、と言っていた。それは、現場周辺に住む人も同じで、工事中の黄色い警告ランプを出火と見間違う、他人を怪しいと疑ってしまう、とのこと。 今回の連続不審火で様々な噂がくすぶっている。それは、不安と相互の不信感が高まっているということだ。「●●も放火された」とか「放火といっているが実は失火だ」という事実無根の噂。「犯人は捕まった、少年らしい」とか「犯人は同じ野宿者にちがいない」という確実性の薄い噂。それから、荷物を増やして片づけないから放火される、など被害者が悪いという傾向の話。実際は、きれいにまとめられた荷物も対象になっている。 加害者ではなく被害者に非難が向かう傾向は、被害を受けた人と立場が近い人の中でもよく起こる。その集団や個人が<力を奪われている>ためにそういうことになるのだと思う。そのような非難をすることによって、自分と同様の相手と一線を引いたり、自分を優位においたりして、かりそめの力を誇示し自分の不安を減らす。しかし、それは、自分たちの立場を切り崩すことになり、強いものから、さらに力を奪われるだけだ。 また、今回の不審火が起きた場所の一部では、ボヤ火災が発生したから危険なので移動するように、と国交省や警察によって貼り紙された。しかし、言うまでもなく危険なのは放火をする人であり、その危険に対して<移動するように>というのは、被害者へ過大な負担を強いているだけである。例えば、家が放火にあった時に、その持ち主に「移動するように」というだろうか?追い出しの口実に、火災を利用しているにすぎない。警察は、犯人を検挙できない不実をわびるべきだろう。なぜなら、連続放火があったにも関わらず、ろくに捜査をしようとしていなかったのは明らかだからだ。さすがに9件目の放火の時は、4時間の現場検証を行っていたが、それまでは非常におざなりであった。これは、野宿者への蔑視が理由だろう。貼り紙、警察の対応、に見られる野宿者の生活や人権に対する軽視は、放火など野宿者への襲撃の背景と共通するところがある。 このような中で、野宿の人たちは自分自身で荷物の見張り番(寝ず番)を一定期間毎日交代で行っていた。テント村のIさんもまた不審火のあった場所近辺の路上で、ご飯(主に拾った食材使用)を共につくり会食するキッチンを毎夜行った。 ぼくは、今回の件を通じていろんな場所の野宿の人とつながりが強まった。困った時、不安な時には、やはりつながりを作ることが重要で、それが蔑視や相互不信を乗り越える道だと思う。
by isourou1
| 2013-03-20 22:25
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