フォロー中のブログ
外部リンク
連絡
abisoourou@gmail.com(先頭のabを削除してください)
記事ランキング
|
1、公共地
ホームレスの住む場所は、公共性の高い場所である。生活している場所でありながら、自分の場所ではない。いつも撤去の危険にさらされているし、また違法性を問われる根拠になっている。しかしながら、常に原理的に自分の住む場所を他者に対して開いたものにしておくというのは、新しい倫理ではないか。可能性ではないか。公共地に住むということは、自分の場所を開かれたものにするということである。そのことは、プライバシーを確保することによって身の安全をはかるという方法より、人びとの結びつきによって自分たちの安全を確保する方法を要請する。実際にテント村の中は、かなりの安全さが保たれている。 (土地を排他的に所有できるという観念(資本主義においてはお金によって)が、この世の不正の根本にあるのではないだろうか。) 2、都市 ホームレスの生活は、都市とこそ密接に結びついている。都市とは、大きな隠れ家であり、匿名で生きていける。テント村で本名を名乗る人は少ないし、その人が何者であるかはさほど問題にならない。都市の経済活動が生み出すゴミ廃棄物、また都市にまつわる雑業が、ホームレスの生活を支えている。都市と結びつくというのは、絶えず変化する都市文化に触れ続けるということでもある。一方、例えばヒッピーは田舎を志向する。自給自足という言葉のように、文化においても、閉じた世界をつくろうとしているように見える。ホームレスは都市の一部であり、都市に向かって開かれている。 3、ゴミ 空き缶、ダンボール、古雑誌、の回収は業者が換金してくれる。燃えないゴミを回収し、自ら売る人もいる。賞味期限が切れた食品でもまだ食べることが出来る。都市生活が生み出すゴミ廃棄物は、利用可能な有用性を持っている。ホームレスが創り出す住居もまた、多く、廃物を使っている。ブルーシートが多用されるわけは、それが安値であることもあるが、花見の季節などに、多量に捨てられているからである。かさの柄や廃バッテリーを住居を固定するのに使うことも多い。もちろん、ダンボールハウスはダンボールがよく捨てられているからである。最近傘で作った寝床を見たが、傘もよく捨てられている。大阪には、有名な空き缶で作られた家があった。ホームレスはゴミを再利用することによって、生活を組み立てていく。それはまた、プリコラージュ、廃物アート、サンプリング、などの芸術の豊富な土壌である。また、その生活において、エコロジーへの示唆に富んでいるのが、ホームレスではないだろうか。 4、家賃 ホームレスは中高年に多い。それは、その世代の人が職を得るのが難しいというのがひとつの大きな原因とされている。それに較べ若い人は仕事に就くのは容易だろう。しかし、多くの若い人が、家賃や光熱費、税金などを払うために、多大な時間をやりたくもない仕事で費やしていると思う。それが、自立だ、自己実現だと、尻をたたかれても、今の社会に決められた自立や自己実現にすぎない。そんな状況で、引きこもり、や、ニートなど当たり前ではないか。家賃や光熱費のための労働をしないことによって、多くの自由に使える時間を得る事ができる。ホームレスを選択する若い人たちが、ホームレス文化の担い手になる時がやってくると思う。そのような時、ホーム レスの持つ世代を超えた付き合い方(だれも自分が年長だからとえばったりしない) が、いきてくるのではないか。 5、スクワット(不法占拠) ヨーロッパ諸国に盛んなスクワット運動は、空きビルなどを占拠し、そこを居住空間にかえてきた。パンク、自由ラジオ、テクノ、レイブ、などユースカルチャーの背景にはスクワットハウスの存在があり、大きな影響を持ってきた。(だれか詳しい方教えてください。歴史的にも古いらしく、法的にも認められる場合もあるらしい。たとえばアムステルダムなどでは、住居として使わない(ふり)ならいい、とか)。ホームレス(家がない)という受動的立場から、スクワット(不法占拠)という能動的立場への視点の転換ともいえる。 スクワットネットhttp://squat.net/ 6、イメージ(スティグマ) 「ホームレス」という時につくまとう、怠け者、汚い、臭い、などの負のイメージ。社会の落伍者であり、不幸のどん底であり、自業自得で2度と立ち直れないかもしれないけど、やさしい人なら手をさしのべて救おうとする存在。そのような一般社会のイメージは、ホームレスと一般市民の間に線を引き、一般社会を維持するひとつの仕組みになっている。また、襲撃の暴力により命を落としたり、怪我を負わされるホームレスもいる。 また、もうひとつの問題は、そのような一般社会の倫理観を内面化して(そもそも一般社会の中で暮らしてきた人も多い)、自分や自分たちに対する否定感を持ってしまうことである。それでは暗くなってしまう。ホームレスの人は、実は、働いている(缶集め、他)、汚くも臭くもない人がほとんどだ、ということを声高にいうことよ り、怠け者、働かない人、汚い人、精神的にまいっている人、落伍者が、活き活きと暮らせるホームレス社会の方が、それを排除して事足れりとしている社会よりも、許容度が高く、倫理的に優れている、と言いたい。ぼくは、そのようなところに暮らしていることに誇りを感じるし、そのような肯定がホームレス文化の礎だと思う。 7、コミュニティ(共同体) ホームレスの多くは、コミュニティを作っている。そこでの結びつきは、近隣、同じ趣味を共有、仕事における協働、友好、などにより、複合的に作られている。ぼくが、住みはじめたころ、南米の人や外国人も多く、それなりに溶け込んで暮らしていた。また、コミュニティのあちこちには、人が集まる場所が作られている。テントのテントの間だったり、テントの庭の部分だったり。また、テント村には、今や有用物になった、拾われたゴミや、持ってこられたゴミ、があるため、意外に物資にあふれている。その元ゴミは、物々交換や、プレゼントという形で、人びとの結びつきの手段になっている。また、ギャンブルやアルコールなどの依存にたいしての、ゆるやかな互助会というべき、働きもあることも注目すべきである。一般社会の中で苦労して、かたくなになった気持ちが、テント村のコミュニティによってほどかれていくのもよくあることである。 また、ホームレスのコミュニティには、外国人を含むテント旅行者にとって有意義である。都市部においてテントを張れる場所というのは、ほとんどない。 8、非定住 ホームレスは、いつも排除の危険に晒されている。だれもそこに永遠にいられるとは 考えていない。集住地域はつぶされても、またどこかに新しく生まれる。そこを渡り歩く人たちの情報交換やネットワークがある。歴史を翻ってみれば、非定住者の作り出してきた文化がある。非定住ということから生まれるものもホームレス文化を形づくると思う。 と自分なりに、ホームレス文化の基礎となりそうなことを箇条書きにしてみました。当然言い足りないところや、言いすぎなところがあると思います。また、ぼくの知っているのは、ホームレスと言われる人の中でテントで集住しているところのことで、テントを持たずに暮らしている人たちのことはあまり知りません。ホームレスと言われている人の中でも、様々に異なった生活形態がありそれに伴う共同体や付き合いがあります。ホームレスと言われている人たち全体に通底するように考えましたが、多くはテント村の暮らしから得た考察です。 ぼくは、基本的に自分が住んでいるような場所は多くあってほしいし(その存在でもってこういう場所をつくってきた人たちに敬意を感じます)、ホームレスももっと普通な選択としてあるほうが、面白いと思っています。
by isourou1
| 2005-11-12 13:45
| ホームレス文化
|
ファン申請 |
||