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この半年ほど、エノアールにイシさんがよくいる。イシさんはこのテント村で色んな人の小屋を10軒近く建てた人だ。テント村において、小屋は自分でつくるのが基本だった。しかし、テント村の最盛期においては比較的お金に余裕のある人の小屋づくりを請け負う人たちがいた。それらの人の中には元大工さんで手間賃として一日いくらという感じで完全な仕事として作る人もいた。イシさんは左官を長くやられていたが大工ではなかったこともあり、初めの頃はお金を得るために他の人の家を建てたわけではない。体力もあり何でも器用に出来たイシさんは、テント村で暮らすようになってからも、銀杏拾い、アルミ缶集め、何をやっても上手にこなしていた。それで、小屋が崩れかかっているのを見かねて手伝ったりしているうちに、なんとなく頼まれるようになったようだ。拾ってきた材木やベニアを使っていたイシさんだったが、1軒あたり5万円程度のお金をもらうようになってからは材木屋で買っていたとのこと。材料費で貰ったお金の大半はなくなっていたようだ。試行錯誤の末に定まったイシさんの小屋スタイルは、6畳の日本家屋タイプで床上げして切妻屋根、玄関も窓(引き戸)もある。屋根のブルーシートは2重になっていて、その間を風が抜けるようになっていたし、壁のブルーシートは結露するから床から90センチほどはべニア板を取り付けた。職人的かつ実用的な細かい工夫がしてあるのがイシさん制作の小屋の特徴だった。イシさんから1つ1つの家について詳細な話を聞いているが、どの家についても施主からの感想は覚えていないと言っていた。イシさんの場合、むしろ工夫して作ることそのものに楽しみを見いだしているようだった。実は、最近イシさんによってぼくのテントもいろいろと改善されてきた。イシさんの場合、相談して作業するということはほとんどない。良かれと思ったら勝手に作業している。少しびっくりすることもあるが、それがイシさんの流儀みたいだ。ちなみに、ぼくのテントの水汲みや食器洗いのほとんどは現在イシさんがやってくれている。思いついて自分でやれそうなことはやる人なのだ。こういう感じでイシさんは自分の生活を築き、長きに渡ってテント村の形を作ることに結果として大いに貢献してきたのだった。しかし、ひょんなことから不在になった折りに、イシさんは東京都に自分の小屋を壊され(イシさんの建てた小屋はそれで全て現存しなくなった)、それから路上で暮らしたり入院したり施設に入ったりした。この半年間の流転はイシさんにとって不本意なことの連続であったと思う。仕組みの分からない不案内の環境で力を奪われ、だんだんに気力や自信を失いがちな様子である。体調も悪いせいもあって、エノアールでも横になっていることが多くなってきた。ぼくはイシさんとイシさんの作った小屋について小さな本を作りたいと思っている(作業がなかなか進んでいないが)。 小屋づくりといえば、実は昨年ギリシャでもやった。知人で演出家の高山明さんがアテネの演劇祭に呼ばれ、彼があちらのホームレスと作業するにあたって、ぼくに声をかけてくれた。アテネの街の複数箇所を巡るツアー演劇の一部で、ぼくたちの担ったのは新アテネ中央駅の構内だった。そこに地元のホームレスと小屋をつくって、観客がそのホームレスと小屋の中で対話するというのが高山さんの作品だった。 ギリシャといえば経済危機だ。演劇祭は5月で、EUとギリシャの軋轢が最高潮になる1ヶ月前くらいだった。街では廃屋や建設がストップした建物が目に付き、物貰いも大勢いた。新アテネ中央駅もほとんど完成しているにもかかわらず5年以上も放置されており、構内には放し飼いの犬たちがウロウロしている。たぶん捨て犬を駅の管理人が餌付けしたのだろう。街にも野良犬がウロついていたが、至っておとなしかった。田舎街のおおらかな素地に経済危機に起因する荒んだところが重なっているような、見方によってどちらにでも受け取れるような、そういう感じが野良犬の姿に象徴されていた。そういう二重写しのような感覚は、街に点在する古代遺跡と廃ビルの間にもあって、ギリシャの古代文明の威容を示す遺跡が同時に巨大な廃物でもあるように廃ビルと重なることで見えてくる。 一緒に作業したラブロスとスティリオスは、元ホームレスで現在は施設やアパートで暮らしている。ラブロスは大柄で太っていてブラジルからの移民。スティリオスは、締まった体格で少し神経質そうなギリシャ人。線路の小石を敷き詰めたホーム脇の空き地に小屋を建てることにした。ギリシャの太陽は容赦ない。午後1時から4時くらいまではシェスタの時間で商店も休み、大きな物音を立てると警官に怒られるという話だった。実際のところ、暑くて作業なんかやっていられない。駅の周囲には様々な廃材が放置・投棄してあって、それらをかき集めて小屋の材料とした。二人とも理想の小屋のイメージは、立派な家のミニチュア版みたいなものだった。スティリオスはレンガを使って壁を作ると言い出した(しかし、それは資材らしく駅側から許可が降りなかった)。ぼくは、イベント期間中のものだしもっと簡単でいいと思っていたのだが、そもそも家というものに対する根底的なイメージの差があるのかもしれなかった。スティリオスは柱を建てる時、掘った穴に柱を置き小石を周りに詰めることで固定した。ここは石の文化なんだなと感じた。彼は廃材とトタン板を使って、窓も玄関もあるしっかりとした小屋を黙々と作ってしまった。自然の素材で出来た小屋は、農地や浜辺に立っている作業小屋のような落ち着いた肌触りがあった。一方のラブロスはあまり器用なタイプではなかったため一緒に作ることにした。日本から持っていったブルーシートを多用し、ちょっとフニャとした感じの小屋になった。コンクリート壁をそのまま小屋の壁面にもしていたためグラフィティが部屋の装飾になっていた。ラブロスさんもそこが気に入っていた。主催者からイベント中ぼくにも参加してほしいと要望があったため、急遽、自分の小屋も作った。みんなで建てたため3時間で出来上がった。これらの小屋づくりは暑かったけど楽しかった。小屋には、やはりそれぞれの個性が反映されている。そして小屋の空間は次第に自分になじんだものに感じられてくる。とはいえ、夜になったらぼくはホテルに戻るし、あくまでもイベント用の小屋にすぎない。住宅展示場の家のような白々しさがある。ホテルで寝ながら、作った小屋でイベント後に暮らすことを夢想していた。高山さんも主催者に小屋を残すことを交渉したらしいが断られたとのことだった。新駅を囲むフェンスの先には、土管に住んでいる形跡や鉄道のトンネルに住んでいる人たちがいた。彼らと話す機会はなかったが、トンネルの人は石を投げられて怪我をしたらしい。小屋掛けするのは難しいらしくアテネではほとんど見なかったが、街の中央にあるオモニア広場では難民が雑魚寝していた。 アテネ郊外の高速道路の高架下にはロマ(ジプシー)の人たちがテントを張っていた。ぼくは子どもたちと絵を描いたりして遊んだが、すぐにカバンをあけて物を持ちだそうとするのには閉口した。割れた水道管から溢れる水で食器を洗い、たき火で調理をしていた。 場所をつくること、少しでも根を生やすこと、その様々な困難なあり方の中で小屋をつくることは、生活が立ち上がったような夢のあることだと思う。
by isourou1
| 2016-06-05 01:33
| ホームレス文化
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